とにかく、80年代の中森明菜といえば、一般的には、決まって『少女A』(82年)、『DESIRE‒情熱‒』(86年)、たまに『ミ・アモーレ』(84年)ということになる。
しかし、それだけでなく、自らが自らをプロデュースして作り上げた、『SOLITUDE』以降の「アーバン歌謡」のすごみが、もっと語られていいと思っている。語られないとバランスが悪いと思っている。
「外へ」の聖子と「内へ」の明菜
80年代の松田聖子と中森明菜の「ライバル関係」について語ることは、その共通点と相違点について語ることである。
共通点として、まずは抜群の歌唱力。「アイドル」の殻を破った音楽性。そして女性票も集めながら80年代という時代を背負い、「80年代の顔」として君臨したこと。
ただ「抜群の歌唱力」といっても、2人の声質や歌い方はまるで異なる。そのあたり、作編曲家・武部聡志(たけべさとし)は自著『ユーミンの歌声はなぜ心を揺さぶるのか』(集英社新書)でこう述べている。
ふたりはライバルのように捉えられ、よく比較されてきましたが、まったく異なるタイプのボーカリストです。聖子さんが“陽”だとすれば、明菜さんは“陰”でしょうか。聖子さんの声質には持って生まれた明るさがあります。あの明るさが彼女の歌の最大の持ち味です。しかもただ明るいだけでなく、ハスキーな質感もあって、ときおり憂いを感じさせる。日本人の多くが好きな声質かもしれません。一方で明菜さんの歌はどこか悲しげに聴こえます。それは彼女の声そのものに憂いや陰りがあるからでしょう。ビブラートの振れ幅が広い、ウェットな歌唱法も、そう感じさせる一因です。
歌唱力のありようだけでなく、活動の方向性も大きく異なる。「外へ外へ」という拡大志向を突き詰めた松田聖子と、「内へ内へ」という内省志向を突き詰めた中森明菜。方向性は明確に異なるものだった。
2人が日本の女性に与えた“大きな影響”
もちろん音楽以外にも目を向ければ、結婚・出産・離婚……などのライフイベントすべてを、自らのブランド価値に転換するさまを称賛したくなる松田聖子と、いくつかの「ライフトラブル」(詳細は書かない)を経て、グラグラと不安定に揺れ続けるさまを支えたくなる中森明菜という対比もあった。