巡礼に同行してくれたのはいつも友人のAだった。学校のあった目黒から渋谷、恵比寿、代官山。あのあたりのカフェはおそらく全部行ったと思う。彼女がお洒落などんぶりとコーラを頼んで食べている隣で、私はお酒の代わりに温かいコーヒーを注文した。ピクルスやオリーブ、チーズの盛り合わせ、カルパッチョにフムス、ビーツのポテトサラダ。牛肉のタルタル仕立てや、いちじくとリコッタチーズのタルティーヌ。家では出てこない食材や新しい味を学ぶ時間は刺激的だった。
ちなみにAはお腹が空くと我慢ができず機嫌が悪くなる性格で、いつも集合時間ギリギリに起き少し遅れて現れる彼女は、合流した瞬間に空腹でイライラしていることも少なくなかった。そんな彼女をなだめるため、私は自宅で握ってきたおにぎりをまず手渡すようになった。渋谷のハチ公前でおいしそうにおにぎりを頰張る彼女の姿は今思い出しても笑ってしまう。
おにぎりでひと息ついてもらった後は、大抵は方々にショッピングに出向くのが定番だったが、再び彼女が空腹に襲われたときにすぐにごはんにありつけるよう、遊び先の近隣のカフェを把握することが習慣になった。駅で顔を合わせた瞬間に彼女の表情から空腹具合を読み取り、調べ上げた外観やメニュー構成をもとに、彼女の好きそうなひと皿を脳内の地図からピックアップする。同時に自分の気になるメニューもチェックしておく。断片的な情報を繫ぎ合わせ、まだ食べたことのない料理の味を想像する時間は、時に実店舗を訪れるときを上回る楽しさがあった。
何でも「おいしい、天才だ」と言って食べてくれた彼女
私が料理にのめり込んだのは、いつもお腹を空かせている彼女の存在が大きい。彼女は私の作るものを、何でも「おいしい、天才だ」と言って食べてくれた。自分の手から生み出したもので誰かに喜んでもらえるのだと知ったとき、私は救われたような、自由になれたような心地がした。
あるとき彼女に好きな食べ物を尋ねると、「タコとセロリとアボカド」という答えが返ってきた。脈絡がないようでいて、どこか筋の通った3つの食材。その並びは当時の私にはとても大人びた響きに感じられ、好奇心を強く刺激された。これらを使いこなし、料理に仕立てられたらどんなにかっこいいだろう。どう組み合わせ、形にするか。試行錯誤の末に辿り着くひと皿は、私にとって初めて知る創造的な喜びだった。
彼女のために考えた料理はいくつもある。トマトとタコの少し辛い煮込み、アボカドとタコとにんにくの炒めもの、鶏肉とセロリのアンチョビクリーム煮。料理名を聞いた瞬間に、自分のために作ってくれたものだと伝わるひと皿に仕上げる。それが楽しくて仕方がなかった。

