ついに立場は逆転

「各地のプロモーターには、日プロからお達しが行っていて、なかなか興行を買ってもらえなかったんだけど、猪木さんや山本さん、北沢さんらと個人的なつながりのある人たちが協力してくれるようになった。

 たとえば、力道山のリキ・スポーツパレス内にあったリキレストランのコック長をやっていた高梨(正信)さん。その人は猪木さんもよく知ってるんだけど、北沢さんの世話をしてくれていて、新日本のチケットもよく買ってくれて、興行もやってくれていたんだよね。今、新宿区西落合に『レストラン香港』というお店をやられていて、俺もいまでも食事に行ったりしてますけど、行けば当時の話をしてくれますよ。

 すごく世話焼きの人でね。新日本が始まったばかりの頃、北沢さんは現金収入を得るために新宿西口でワゴン車のうどん屋台をやってたんですよ。(グラン)浜田が入った頃だったかな。当時はまだ京王プラザホテルができたばかりで、ビルなんか何もなかったんだけど、駅前にうどん屋台のワゴン車を停めてね。俺なんかも手伝いに行きましたけど、高梨さんは面倒見がいいから、そういうのも全部教えてくれたんですよ。

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 だから初期の新日本というのは、レスラーや関係者だけでなく、いろんな支援者も含めて、みんな猪木さんが好きで、『猪木さんのためなら』ってことでいろいろやってくれたことで、苦しい時期を乗り越えることができたんだよね」

 そして旗揚げから1年。新日本と日プロの立場はついに逆転する。

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