“地味で暗い子”が見せた一瞬の笑顔
2次審査も無事通過し、最終審査に進んだものの、その間にネット掲示板で真偽不明の情報を目にしてしまい、前夜に泣きながら行きたくないと訴えた。しかし、このときも母に説得され、目が腫れた状態で最終審査に臨む。そこでの記憶はほとんどないが、面接で将来の夢を訊かれると、「女優です」とはっきり答えたという。審査員たちは、前田に対し地味で暗い子という印象を受けたものの、面接で質問が終わり、彼女がホッとして一瞬見せた笑顔に惹かれるものを感じた。結局、それが決め手となり、合格が決まったらしい。
オーディションには7924通もの応募があったなか、最終的に選ばれたのは前田のほか板野友美、小嶋陽菜、高橋みなみ、峯岸みなみら24名だった。前田は受かった瞬間を、《ただただ怖かったです。すごい可愛い、やる気満々ギラギラの子たちばっかりだったんですよ。居場所がなくて隅っこにいました》と振り返る(『週刊文春』2024年2月15日号)。
最終審査のあと、わずか1ヵ月のレッスンで13曲分の歌と振り付けを叩き込まれ、2005年12月8日から秋葉原のAKB48劇場での公演が始まった。公演初日のMCで前田は「私には笑顔しか取り柄がないので、笑顔で頑張ります」と自己紹介したが、それは謙遜ではなく本心だったのだろう。
秋元康が前田をセンターに抜擢した理由
当初、ステージ上のメンバーのポジションは基本的に横並びだったのが、劇場オープン4ヵ月後に始まった新公演では、前に出るメンバーとそのバックを務めるメンバーに分けられ、前田はメンバー4人によるユニット曲「渚のCHERRY」で前に出て歌うことになる。これがAKB48における初のセンター制導入だった。総合プロデューサーの秋元康は彼女をセンターに抜擢した理由を、《目立つ子ではなかったけど、ステージに立つと不思議と映える。もしかしたら、化けるかもしれないと思いました》とのちに語っている(『文藝春秋』2011年8月号)。
しかし当の前田は、グループでいちばん踊れなくて、歌も下手な自分がセンターに選ばれたことに納得がいかず、せっかく仲良くなったほかのメンバーに嫌われてしまうとショックを受けたという。そんな本人の思いをよそに、前田のポジションはセンターに固定されていく。2006年6月にリリースされたインディーズ2枚目のシングル「スカート、ひらり」では、高橋みなみとWセンターを務めた。
