NHKの紅白歌合戦に、AKB48が2019年以来6年ぶりに出場する。初出場は2007年、2013年の紅白では瞬間最高視聴率48.5%を記録する“ある事件”が起きた。(全3回の2回目/続きを読む)
◇◇◇
AKB48は紅白歌合戦に2年ぶりに復帰した2009年を転機として「国民的アイドル」への道を歩んでいく。翌2010年の第2回の選抜総選挙では、大島優子が3万1448票を獲得し、“絶対的エース”と呼ばれた前田敦子(3万851票)と約600票の僅差ながら1位となる。
大島は7歳から子役として活動していたが、成長にともない仕事が入ってこなくなり、高校2年のときには引退して社会福祉系の学校に進もうと考えていた。そこへ前の事務所の人の勧めで、2006年、AKBの2期生オーディションを受けて合格する。
大島優子の激しい闘争心「戦場ですね、戦場」
AKB48劇場ではすでに前田敦子ら1期生に加え、劇場内のカフェ店員からメンバーとなった篠田麻里子(「1.5期生」とカウントされる)による「チームA」が公演を行っていたが、大島ら2期生は1ヵ月のレッスンを経て「チームK」として公演を開始した。なお、翌2007年には3期生による「チームB」が結成され、3チーム体制が確立する。チームKはチームワークを重視し、大島や秋元才加ら負けず嫌いで情熱あふれるメンバーが集まっていただけに、グループ内でも体育会系と目された。
子供の頃から子役として競争にさらされてきたこともあってか、大島の闘争心はAKBに入ってますます過熱した。卒業後、自分にとってのAKB48とは? との質問にも《戦場ですね、戦場。だって、私はAKB48にいる間、常に何かと誰かと戦っている心境でしたから》と答えているほどだ(日刊スポーツ新聞社企画・編集『涙は句読点 普通の女の子たちが国民的アイドルになるまで AKB48公式10年史』日刊スポーツ出版社、2016年)。




