後者は、先に卒業した前田敦子からの影響だった。前田が「後輩のために道を作る」と言って卒業したとき、大島はそれは違うとして《前田敦子という座席を譲られて誰かが入るんじゃなくて、奪い取るものだって、私のスピリットとして思っていた》が、その後、前田の言うとおり先輩として席を譲るべきかもしれないと考えが変わっていったという。

 ただ、そのあとで《私が「後輩のため」って言うのは単に優しいわけではなくて、私がいなくなったポジションを巡って、みんなにしのぎを削ってほしいと思ってます。みんなが「やった、空いた!」って奪い合い、ぶつかり合うのを楽しみにしてるんです》と付け加えているのが大島らしい。

大島優子(2011年撮影) ©文藝春秋 

女優としての道をつかむために

 対談ではまた、《ファンの方の中には、AKBのステージで踊っている私がすごく好きっていう人もいれば、女優業だけをやってほしいという人もいる。そう考えたら、すごく悩みます》とも打ち明けていた(前掲)。それでも彼女は考えた末、《アイドルをやっていると、どうしてもいろんな顔を見せないといけない。見せすぎちゃって、芝居を見てもらう時にそのイメージが邪魔になってしまう。だから、女優としての道をつかむために、アイドルとしての自分を削る決断をしました》と卒業発表後に語っている(『AERA』2014年4月7日号)。

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 大島の卒業セレモニーは前年の紅白から3ヶ月後の2014年3月末、当時の国立競技場でのコンサート2日目に行われる予定だったが、荒天のため延期。卒業コンサートは結局、東京の味の素スタジアムでの選抜総選挙の開票イベントの翌日、6月8日に同じ会場で行われ、9日にはAKB48劇場での公演をもって卒業するにいたった。(つづく)

次の記事に続く 卒業直前のこじはるでも、“17年在籍”柏木由紀でもない…AKB48「夢の紅白選抜」で1位になったメンバーとは?