翌2010年の選抜総選挙では、1位の座を前年2位だった2期生の大島優子に譲り、そのあとにリリースされたシングル「ヘビーローテーション」では大島が初めてセンターを務めた。
しかし、続くシングル「Beginner」で前田がセンターに復帰すると、ファンのあいだで物議を醸す。当時、総選挙の結果はその直後のシングルに限って有効なのか、あるいはそれ以降も引き続き有効なのか、線引きがあいまいだったためだ。当の前田も、大島がセンターのままでいいと思っていたので、すぐにセンターに戻されたのは本当に嫌だったという。
「私のことは嫌いでも…」
このころ、AKBファンの裾野がライト層を取り込んで広がるにしたがい、前田のことをよく知らない新規ファンがアンチに回るという現象が生じていた。それもあって2010年の選抜総選挙からの1年間は彼女にはきつかったようだ。それでも1年後、2011年の総選挙では2位の大島に大差をつけて1位に返り咲く。「私のことは嫌いでも、AKBのことは嫌いにならないでください!」と彼女が悲痛な叫びを上げたのはこのときだ。
本人はその真意を《無意識でしたけど、1年を通してのコメントだったんですよ(笑い)。やってる本人の私たちが一番複雑だったんですよ(苦笑い)。私も『センターをやりたい』ってタイプじゃなかったから。それを分かって欲しかったんです》とグループ卒業後に明かしている(日刊スポーツ新聞社編集・発行『涙は句読点 普通の女の子たちが国民的アイドルになるまで AKB48公式10年史』2016年)。
2011年の選抜総選挙は日本武道館で開票イベントが行なわれ、テレビで生中継もされて広く注目を集めた。すでにAKBはヒットチャートを席巻し、テレビでも音楽番組だけでなくバラエティにCMにと引っ張りだこになっていた。
年末には前年逃した日本レコード大賞を「フライングゲット」で初受賞する。他方で、3月に東日本大震災が発生すると、2ヵ月後にはメンバーによる被災地訪問も始まった。こうして振り返ってみると、AKBが国民的アイドルと目されるグループになったのは、まさにこの年だといえる。そのなかで前田はグループからの卒業を意識し始め、親しいメンバーや秋元に相談するようになっていた。(つづく)
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