コンパクトながら要所を固めた羽柴秀長陣
「これだよ、これ!」と、思わず心の中で呟く。どう見たって竪堀だ。しかし長いな……。
20m以上はありそうだが、意を決して這いつくばるように尾根まで登る。太閤ヶ平のような広さは全くなく、曲輪らしき削平地もない。
ただ、横堀やら竪堀やら、あちこちに遺構はある。
秀長の率いる兵数がそれほど多くなく、陣の広さとしてはこれぐらいで事足りたのかもしれない。城内を太閤ヶ平方面に引き返してゆくと、見覚えのある光景が現れた。
つい十数分前に見上げたあの急斜面を、今度は見下ろしていた。やはりあそこから登って正解だったのだ。視線を上げると、木立の間から谷向こうが見えた。太閤ヶ平だ。
この距離なら、「兄者~」と、大声で叫べば聞こえそうだ。手を振れば見えたかもしれない。もし『豊臣兄弟!』で鳥取城の戦いが描かれていたら、そんなシーンが描かれていたのでは?
文字通り敵と目と鼻の先の陣城群
羽柴秀長陣は、太閤ヶ平~鳥取城本丸間のちょうど中間地点あたり。さらに敵陣を目指して登山道を西へ。この先の陣城にも寄り道しながら。
中水道北尾ノ陣は総称で、かなり離れた位置に点在している。持参の資料には、鳥取城に近い方から1~4と番号が振られていた。
守将も不明の無名の城に過ぎないが、これらが羽柴方の最前線でもあり、遺構からもその一端がうかがえる。おそらく秀長がこのあたり一帯の指揮を任されていたのでは?
尾根先端の出丸で敵と睨み合う
最前線の陣城群からくだってゆくと、2つの分岐を経て再び上り勾配に。道は急に狭くなり、しかも急勾配にへばりつくよう。滑り落ちれば奈落なり、だ。この細さなら、いかに秀吉方が圧倒的な大軍でも、そう簡単に強攻はできなかっただろう。
やがて右手に見えてきたのは、これまた見事な崖っぷち。あの先端が鳥取城側の最前線、十神砦のはずだ。
尾根の丁字路を右に折れるとほどなく先端部の十神砦へ。各方面への見通しは抜群で、鳥取城の出丸として申し分ない。敵の大将・秀吉が陣取る太閤ヶ平もバッチリ視界の中だ。
眺望良く守るに難い天空の城
十神砦から鳥取城山上ノ丸まではもう一踏ん張り。先程の丁字路まで戻り、急勾配を駆け上がると三ノ丸直下の食違い虎口が見えてきた。ほれぼれするほど見事な石造の虎口だ。それを突破すると三ノ丸の切岸。点々と石垣があるのが独特。かつては斜面一面を覆っていたのかもしれない。
南に回り込み、二ノ丸と本丸の間に伸びる石段を登る。左に直角に折れて本丸にたどりついた。
この石垣群の大半はのちに池田家が城主となって以降のものだと思われるが、急峻な地形や基本的な縄張(城のレイアウト)は、それ以前から変わっていないはず。力づくで攻めかかったのでは、どれだけ犠牲が出るかわかったものではない。兵糧攻めで降伏を待ったほうがいいな、と実感。



















