山上ノ丸からの一大パノラマ
本丸からの眺望は、誇張ではなく文字通り360度。東に目をやれば太閤ヶ平だ。
北西に目をやれば、鳥取城側の陣城群が並んでいた尾根。この尾根伝いに辛うじて兵糧を運んでいたのだが、秀吉方の宮部継潤(みやべけいじゅん)に分断され生命線は断たれてしまった。
本丸の西には、縄張図で「出丸跡」とされる曲輪群。本丸から斜面を伸びる大手道、わずかだが石段や道らしき痕跡が残っている。
それにしても、比高260mはダテではないことは、眼下の鳥取市街の広がりを見ればよくわかる。この高低差と急勾配。よくぞこんな城を作ったものだ、と真底感心する。
山上ノ丸から山麓へは、急で一部足元の狭いところはあるが、下り30分ほどで山麓へ。この山麓一帯のほうが、一般的によく知られた鳥取城のイメージ。あの「全国で唯一」の半球型の石垣、天球丸の巻石垣もある。
しかし、あの「鳥取城の戦い」を実感するなら、山上ノ丸まで足を運ばなければ嘘だ。当然、太閤ヶ平も必須だし、できれば頼れるブラザー・羽柴秀長の陣も見逃せない。
あるいは今回とは逆に、吉川経家、決死の突撃ルートも面白いかもしれない。山上ノ丸から討って出て、秀長陣を蹴散らし、太閤ヶ平の秀吉を急襲するのだ。経家は鳥取城を任された時点で、「負けは必定」と覚悟していたといわれる。実際には切腹して果てたわけだが、戦場で華々しく散る、という選択肢もあったのではないだろうか。







