現在は予約が入った際に、同じ米沢の老舗鯉調理専門店に甘露煮を依頼をし、同じレシピで作ってもらうという。老舗の味を絶やさぬための企業努力が窺える。
予約販売のみになっているが、九州や大阪方面からも電話で注文が入るという。米沢に足を運ばなければ味わえないという希少性も、ファンの心を掴んで離さない理由だろう。何十年も変わらない『鯉弁当』の味は、人々の思い出とも重なり、また松川弁当店の歴史も今に残してくれている。
米沢で鯉が食べられるようになったワケ
松川弁当店の誕生は、米沢駅開業と共にある。創業者が米沢市内にある病院の経営を行なっていた関係で、 国鉄(現JR東日本)の前身である組織から大きな信頼を得ていた。それにより1899年(明治32年)の米沢駅の開業と同時に構内営業を認められている。
当初は駅弁ではなく、お酒などの飲み物やお菓子などを販売していたという。当時の奥羽本線米沢駅では、板谷峠越えの機関車の付け替えを行っていたため列車の停車時間が長かった。列車が駅に着くと一斉に列車の窓が開き、窓から弁当や飲み物など様々なものを、多くの乗客が買ったと伝わっている。
元々米沢の鯉は、鷹山公が藩の財政を回復させるために、武士に鯉の養殖をさせたところから始まっている。これを使った米沢名物である「鯉の甘煮(=甘露煮)」は、鯉をとろとろと長時間煮込んでおり、川魚特有のにおいもなく脂がのった格別の美味しさだ。また日持ちもするのでお弁当にぴったりだった。現在では鯉の甘露煮自体、正月や法事などの特別な時に食されるのがほとんどとなっている。
『鯉弁当』の販売開始時期は定かではないが、創業間もない段階から売られていたようだ。 ホームでの立ち売りだけでなく、車内販売が始まってからは、日に何十個も売れ米沢駅の名物になった。
材料となる鯉は、1967年までは社長の自宅で養殖していたものを使っていた。住み込みの従業員が明け方の2時3時から鯉を煮込んでいたので、家では朝から甘辛い匂いが漂っていたという。
