鯉弁当の変遷

 発売当初から1940年頃までは三段重ねの豪華な駅弁だった。戦後からは、現在のようなご飯と鯉の甘露煮がメインの弁当になった。

 掛け紙は何度かリニューアルされており、現在は昔のデザインをそのまま使用している。現在、社名部分にはシールが貼られているが、よく見るとその下に「有限会社 松川弁当部」とあり、住所もその頃のもの(2008年以前)がそのまま印刷されている。

 

弁当だけじゃない“意外な注文”も…

 社名にある「松川」は、創業者や経営者の名前ではない。実は地元では最上川のことを「松川」と呼んでおり、屋号はこの名に由来しているのだ。創業当時の店(現在は駅前店)の近くを最上川が流れていたのが理由の1つだという。個人の店というより、米沢の町を代表する弁当店という意気込みが伝わってくる。

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 老舗である松川弁当店には、弁当に関しての注文以外にもさまざまな相談が舞い込む。その一つが学校からの依頼だ。駅弁好きの小学生がいる学校からは駅弁に関しての授業依頼があり、社員がそのクラスで講師を勤めた。生徒たちから大変好評で、自分達の駅弁を作りたいとまで話が盛り上がったという。また山形県内にある大学からは、県産大豆のおからを使った弁当の開発の協力を求められた。何度も試作を重ねて、オリジナルの弁当を共同開発し、県内での販売も予定している。

次の記事に続く なぜ駅弁に「あんず」が入っているのか…35歳で夫を亡くした女性が“起死回生”で生み出した『峠の釜めし』、68年売れ続ける“納得の理由”

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