――疲れている時に、長谷川さんのレシピという「信じ」られる存在は、大きいのではないかと思います。

長谷川 レシピが心理的にワクワクにも繋がるなら、ありがたいですね。

 料理が、体験型エンタメに変わるなら本望です。伏線があって、どうなるかわからない状況が続いて、伏線回収で料理ができあがる。かつ、「ここで入れたこれがここで効いてくるのか」とか「この面倒くさい作業ってこう効いてくるんだ」みたいな考察ができて、考察すると「誰かに言いたい」「SNSにあげたい」「またやってみたい」などと行動に変化を起こす。そんな存在になれているなら、ありがたいなと思います。

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――ブレイクを実感されるのっていつ頃だったんですか。

長谷川 最近ですね、本当に。一方で、私は「こうあるべき」を否定したくてこの仕事をしてるはずなのに、料理家という肩書きでレシピらしきレシピを出し続けることによって、「こうあるべき」なんだと辛い人が出て来る原因の1つになっちゃうんじゃなかろうかと葛藤することもあって。“ご自愛”とか“いたわり”って、こういう料理をしないとできないんだと思わせるようになっちゃうと、それは私がやりたいことと真逆なので、そうではないよということを全力で発信している最中です。

「あかりさんの料理は作業療法的」

――今後やりたいことや、理想像はありますか。

長谷川 半年ぐらい前、ある方が、「あじキューライス」のレシピについて、「あかりさんの料理は作業療法的ですごく好きです」というようなことをおっしゃってくださって、そこで作業療法というものを知りました。

「あじキューライス」はごはんの上にあじのお刺身を載せ、キュウリと生姜をひたすら刻んでかけたら、塩とオリーブオイルと酢で食べるんですけども、これはめちゃくちゃ作り手に負担をかけさせるわけですね。でもその刻む時間ごと絶対おいしさに返ってくるから、「とにかく刻んでください、お願いします」って言い続けていたら、作業療法だと言われて、「なるほど!」と。

©平松市聖/文藝春秋

 その時、私が料理に救われてきたプロセスって、作業療法だったのかもしれないと思えたんです。自分で料理を作るメリットとして、作業療法的効果があるということをもっと広めたい。私が目指すのは、そこなんじゃないかと答えが見えた感じがあるから、もう一度大学に行きたいかもしれないです。

――また学びに?