その後、夜が明けるのを待たず、長い距離を徒歩で帰宅した。逃げ場のない絶望感が次々と湧き上がる。

 「どう償えばよいのか」「会社に居場所はあるのか」。そして、「家族は暮らしていけるのか」。どこをどうやって帰ったのか、全く記憶に残っていない。

警視庁と父親との間で板挟みになり…

 正式な事情聴取が行われたのは、飯塚ではなく長男が先だった。四月二九日、長男は目白署を訪れ、朝九時から午後六時まで事情聴取を受けた。

ADVERTISEMENT

 父親の個人情報や病気のこと、運転歴などを事細かく聞かれ、一つ一つ丁寧に答えた。捜査員から「車の故障という主張だと争いが長くなるし、遺族の心証を害して罪が重くなる可能性がある」と言われた。

新刊『池袋高齢者暴走事故 遺族と加害者家族の2060日』(文藝春秋)

 父親は「車の異常を止められなかった責任がある」と供述していた。長男は「これが被害者に伝わったら激怒するので、何とか翻意させたい」と決意を話した。長男は警視庁と父親の間で板挟みになっていた。

 約三〇年と四か月続いた「平成」が終わった翌日の五月一日。皇居では剣璽等承継の儀が行われる。午前七時半、空には厚い雲がかかっていた。

 複数の捜査員が目白署に集まり、バンに乗り込んで飯塚の自宅に向けて出発した。この日の目的は家宅捜索(ガサ)。警視庁は飯塚を逮捕しなかったが、証拠に関わる物件(ブツ)は強制的に押収する必要があった。捜査員は車をマンションの近くに停め、撮影用のカメラや手袋、押収品を入れる紙袋などを手に飯塚の部屋を訪ねた。

 対応したのは、事前に連絡をしておいた立会人の長男だった。午前九時ごろ、捜査員が東京簡易裁判所が発付した「捜索差押許可状」、いわゆる“ガサ状〞を読み上げた。長男は頭と目線を下に向け、捜査員が読み終わると、許可状にサインをして印鑑を押した。

 池袋暴走事故をめぐる初の強制捜査は、長男の協力もあり、円滑に進んだ。午後から飯塚の入院先でも家宅捜索が行われた。警視庁は、飯塚側からの任意提出の物も含め、お薬手帳などの医療関係、車関係の証拠品、パソコンやデジカメ、健康器具の足踏み器など六八点を押収した。

 家宅捜索終了後の午後、長男はまた事情聴取を受け、捜査員から「事故から最初の三日間で、警視庁に『なぜ逮捕しないのか』などの約六〇〇件の抗議電話があった」と告げられた。