飯塚の運転免許も関心の的となっていた。第一現場で一五点、第二現場で二二点、合計三七点の違反点数が加算された。飯塚は警視庁に「もう運転するつもりはありません。処分に従います。足が悪いので意見聴聞会は欠席します」という手紙を出し、六月一四日、飯塚の代理として知人が「運転免許取消処分書」を警視庁鮫洲運転免許試験場で受け取った。「欠格期間」の三年間は、三年後に免許が取得できることを意味していた。
飯塚の体調は徐々に回復していた。歩行訓練として、病院の廊下を一日四回の頻度で一周するなど、リハビリに励んでいた。睡眠時間も一日平均約五時間は寝ることができていた。
一方、捜査当局は監視を継続し、東京地検の検事は警視庁に飯塚の見舞客名簿の入手を指示していた。
「私がアクセルやブレーキを踏み間違えたわけではない」
飯塚の事情聴取をめぐり、正式な供述調書として初めて記録に残ったのは、事故から二四日後の五月一三日に行われたものだ。取調官として白羽の矢が立ったのは、課内で優秀とされた男性警部補だった。警部補は、飯塚と信頼関係を築こうと、飯塚の経歴や業績を全て頭にたたき込んで事情聴取に臨んだ。飯塚はセキュリティが厳重な病室のベッドに座り、終始落ち着いた様子で一時間あまり聴取を受けた。これまで断片的だった供述が一気に具体化した。
「私がアクセルやブレーキを踏み間違えたわけではない、右足の異常で事故が起きたわけではないと思っています。そのため、今回の原因は、現場直前まで異常がなかったアクセルペダルが異常をきたし、加速し始めたため、車両が暴走してしまった。それを止めようとしたブレーキも正常ではなくなり、利きませんでした。ただ、そのような事態になっても私自身が車を止めなければいけなかったことについては、反省をして責任を感じています」
機能実験の結果は、どう受け止めたのか。