五月一八日の土曜日の朝、捜査の動向を察知していたテレビ局のカメラクルーが、飯塚が入院する国立国際医療研究センター病院の大久保通り側の歩道に張り込んだ。私の取材不足が原因で、そこにTBSはいなかった。いわゆる「抜かれ」である。

警察車両ではなく「タクシー」で移動させられた理由

 午前九時四五分、飯塚は看護師が押す車椅子に乗り、病室から正面玄関ではなく地下駐車場に向かった。マスコミ各社の裏をかくという目論見は成功し、付き添いの親しい知人とともにタクシーに乗車した。不測の事態に備え、警察車両がタクシーの後ろに続いた。この車間距離が、当時の世論を象徴していた。

 仮に飯塚を警察車両に乗せれば、「警察に守ってもらった上級国民」と「上級国民を守った警察」として、双方に批判が及びかねない。そこで「聴取の任意性の確保」を理由に、タクシーで移動させることにした。

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 明治通りから目白通りにさしかかるあたりで、付き添いの知人が捜査員に連絡した。当初は目白署の脇から敷地内に入って下車するという段取りだったが、「署に想定以上の報道関係者が集まっている。車で敷地内に入ると、『容疑者を守っている』と非難される可能性があるので、署の前で下ろしてほしい」と言われたという。世論にわずかな隙も見せられなかった。

 飯塚は午前一〇時ごろ署に着き、カメラの放列をくぐって三階の取調室に到着した。そして、事情聴取が始まった。指紋と写真を撮られた飯塚は、この日の日記に〈犯人扱い〉と感想を綴っている。