飯塚の初の肉声は震え、消え入りそうだった。路肩に待機していたタクシーに辿り着くまで、十数メートルにわたって報道陣に囲まれ続けた。転倒してもおかしくなかったが、何とか耐えた。私はタクシーの後部ドアの横に先回りしてしゃがみ込んだ。

 飯塚が後部座席の助手席側に乗り込む瞬間、その足をデジカメで撮影しようと考えたのだ。レンズと飯塚の足の間は三〇センチメートルくらいだった。飯塚は震える足をゆっくり上げ、やっとの思いで乗り込み、車が出発した。事故のダメージによる衰えを差し引いたとしても、この足で本当に車を運転できたのか。強い疑問を抱いた。

 飯塚の行き先を確認するため、追走用のメディア各社のオートバイもエンジン音を上げた。

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住所はネットにさらされ、身に危険

 この日、飯塚はどこに向かったのか。長男と警視庁は、飯塚の退院後の生活について協議を行っていた。住所はネット上にさらされ、自宅に帰れば身に危険が及ぶ可能性があった。

新刊『池袋高齢者暴走事故 遺族と加害者家族の2060日』(文藝春秋)

 そこで、池袋のウィークリーマンションと目白署を往復する案が浮上した。これならマスコミの目を避けることができ、近隣住民に迷惑をかけることもない。しかし、長男が賃貸契約の際に入居者として飯塚幸三の実名を書いたところ、「急な工事」を理由に入居を拒否された。

 警視庁サイドは、外から出入りが見えないという条件で、警視庁本部庁舎での事情聴取や、ホテルへの滞在などを提案した。助け船を出してくれたのは、長男の友人だった。その友人は、目白署から車で五分ほどの高級ホテル「椿山荘」と交渉をまとめてくれた。