飯塚は署から約三〇分で自宅に到着した。一か月ぶりの帰宅だったが、妻はまだ退院しておらず、一人で午後一〇時ごろに就寝した。

 翌日も予定されていた事情聴取は、報道の過熱が理由で一旦中止になった。その代わり、弁護士や家族が来宅し、今後の方針を協議した。長男が警視庁との担当者と連絡を取り、聴取については様子を見ながら翌週から再開すると決まった。その後、飯塚は自宅からタクシーに乗って署を頻繁に訪れ、事情聴取を受け続けた。

 飯塚は逮捕されず娑婆で生活を送ったため、警視庁や家族は安全確保に苦慮するという複雑な様相を呈していた。警視庁は、飯塚への捜査と同時に、目撃者立ち会いの実況見分や、被害者の供述調書の作成を次々に行い、着々と証拠固めを進めていった。

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精神的にも物理的にも綱渡りの日々

 飯塚の自宅での生活は、妻がまだ入院していたため、長男がサポート役を担った。食事の差し入れ、電球の交換、家電の設置、パソコンのウイルスソフトをインストールするなど生活全般を支援した。週に最低一回、多いときは三回は実家を訪問した。周辺をうろついている記者にバレないように毎回人目を忍ぶようにマンションに入った。自分の仕事と両立させるため、精神的にも物理的にも綱渡りの日々が続いた。

 飯塚は記者の訪問など連日取材攻勢を受けたが、沈黙を保った。日記には、TBS記者(私)から頻繁に手紙が届いたことや、その内容も記されていた。自宅では所属団体の要職を辞する手紙を書くなど、事故の後始末をしていた。飯塚は当然事故のストレスはあったものの外出もせず、ネットの騒擾をよく理解していなかった。

 一方で、長男は父親がどのように振舞うべきか苦慮していた。頻繁に発生する弁護士との打ち合わせに同席し、警視庁との連絡役もつとめた。長男は、「自分の過失は、暴走を止めることができなかった」という自説を曲げない父親を何とか説得しようと考えていた。五月二八日、捜査員と電話で話した際に、切羽詰まり、より踏み込んだ提案をした。

「父親の主張が被害者に伝われば、とんでもないことになるのはわかっています。もっと詳しい事故の情報を教えてくれれば、父親を説得できるかもしれません」