公式記録に出てこない収容所

 施設名や地名など複数の名称を持つ収容所もある。ウランバートルの精肉工場群に付設した収容所は、施設名のモンゴル語の「マハ・コンビナート(マハは肉、コンビナートは工場群)」と名づけられた。ただ地名から「トロガイド収容所」とも呼ばれ、日本人の間の通称は「缶詰工場」で、収容所名が三つあったことになる。

 施設名からつけた名称と労働の内容が一致しない収容所もある。工場の半分のスペースが宿舎に充てられたウランバートルのマッチ工場収容所では、抑留者はマッチの製造に当たるのでなく、建築作業に出された。一方、モンゴル北部の町、ユルーにあった木材工場の収容所のように、名称通り抑留者が製材作業に従事させられたところもあり、ややこしい。

 収容所の名称には、実は重大な問題がある。収容所がどんな場所だったか、遺族の関心は強い。私は遺族に記録を届ける際、モンゴルで撮影してきた跡地の写真と位置を示した地図を渡して、できるだけの説明をしている。しかし、モンゴル当局の公式記録に記された55か所のほかの収容所は、場所を特定するのが難しい状況だ。

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©AFLO

 関東軍軍用鳩育成所兵長の福村博、歩兵第240連隊伍長の吉本昌栄、第75兵站警備隊伍長の岩崎貫市の3人は石切り場の断崖の崩落事故で生き埋めになって死亡した。そのことを記していた死亡調書には、3人の収容所として「ミネラルスタブ収容所」とあるのだが、55か所には含まれていない。

 春日がまとめた収容所や病院の資料にも「ミニラル・スターブ収容所」と記されている。ウランバートル東南部にあり、抑留者は採石などの仕事に就かされたと書いてあるので、この収容所に三人が所属していたのは間違いない。2025年6月、私はモンゴル人研究者のウルジートグトホに聞いて跡地を訪れようとした。ダシダワーの著書をもとに、いくつもの収容所の跡地を探り出してきた彼ですら、「初めて聞く名前です」と言い、場所はわからなかった。

 手元にある死亡記録をつぶさに見ていくと、モンゴル当局の公式記録に出てこない名前の収容所はまだある。

「サンギブロン」「バインゴール」「ハルギネアム」「モイカ」「アルシャン」「兵器廠」「マイマチン」「チリグヤーメン」「ガロードリンラーゲル」「ビーラーラム」「ニグテアン」「ソイリンオルトン」「ソーグネゴール」「トウアイメック」

 以上の14か所の収容所を私は記録から把握している。抑留者の手記などから4か所はどの地域にあったのか、おおよそ推定できるが、残りの10か所は手がかりが全くない。

 公式記録に出てこない収容所がこれだけ死亡記録に出てくるのをどうとらえたらいいのか。ソ連でも鉄道敷設や伐採などの作業に当たらせた収容所では、一つの現場での作業が終われば奥地の現場へ収容施設ごと移動し、出張所的な収容所を置いたことがわかっている。モンゴルの上述の収容所がそのケースに当たるのか、現段階では詰め切れていない。それとも極秘の任務の収容所で、公式記録から外す必要があったのか、謎のままだ。

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