松永と緒方に監禁され逃走した清美さん。彼女の聴取で浮上した裕子さんの存在。彼女が受けた暴行の数々とPTSDの苦しみ、捜査員たちが見せた堅い決意とは。

「週刊文春」より小野一光氏による連載「北九州監禁連続殺人 捜査本部の初告白」第3回を特別公開する。(初出「週刊文春」2026年4月23日号 第2回はこちら

北九州監禁連続殺人事件とは

 1995年から2002年にかけて、福岡県北九州市のマンション内で発生した監禁・連続殺人事件。犯人の松永太(逮捕当時40歳)が内縁の妻・緒方純子(同40歳)と共に知人や緒方の親族などの同居相手に対して脅迫・虐待などを相次いで行い、最終的には自分の手を汚さず、マインドコントロールにより互いに互いを殺害させるように仕向けた。一連の犯行は7年に及び、犠牲者は7人にのぼった。02年に監禁されていた広田清美さん(仮名、当時17歳)が虐待から逃れ、祖父母に助けを求めて脱出したことで初めて事件が発覚し、11年に松永の死刑が確定。共犯の緒方も無期懲役が確定した。

「北九州監禁連続殺人事件」では、2002年3月7日、松永太(40)と緒方純子(40)が、氏名不詳のまま緊急逮捕された。その約2時間後となる午後11時頃、小倉北区の「泉台マンション10×号室」(仮名)で、4人の児童が保護されている。

 捜査本部での現場指揮を執った、元福岡県警本部捜査一課特捜班のT班長(78)による初告白は続く。

 児童についての情報を提供したのは、松永と緒方に監禁され逃走した広田清美さん(仮名、17)だった。

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 保護されたのは全員男児であり、5歳と9歳の兄弟と、6歳の双子の兄弟。その際の様子について、3月11日に小倉北署の副署長が、記者クラブの記者たちに向けてレク(チャー)を行っていた。

「7日の午後10時50分頃、少年課の課長と係長、それに補導員の女性2人がドアの鍵を開け、4人を保護した。補導員の女性2人を伴ったのは、児童を驚かせないように配慮したもの。4人は6畳ほどの広さの部屋で、パジャマ姿で一緒にテレビを見ながら、遊んでいた。入ってきた捜査員に怯えたり、驚いたような様子はまったくなかった」

 室内は6畳と7畳の2部屋とキッチン。ロフトもついていたが、そこは物置代わりになっていた。副署長の説明は続く。

男児4人が保護されたマンション内部 ©︎時事通信社

「室内はある程度、整理整頓されており、洗濯物がたくさん干してあった。長期間生活していたものとみられ、少なくともその日暮らしではない。こたつや冷蔵庫もある」

 私が独自に調べた内容をつけ加えると、キッチンの棚には高野豆腐や麩などが収納されており、弁当の容器も洗って取り置かれていた。さらに、フォーク歌手のイルカや小椋佳や、フォークグループのふきのとうのCDなどもあったようだ。

5歳と9歳の子どもが偽名を名乗った

 副署長によれば、保護された児童のうち、年長の9歳の男児はしっかりもので、年下の3人の統制をとっていたという。

「9歳の児童はよく喋る子で、『NHKの教育テレビも見るよ。いろいろ知っている。地球も丸いよ』と話していた。また、6歳の双子は『お母さんに会いたい』と訴えている。5歳と9歳の兄弟に家はどこかと尋ねたところ、保護された場所を言ったことから、もともとここに住んでいたようだ」

 6歳の双子はそれぞれ本名を名乗ったが、一方で後に松永と緒方の子供と判明する2人は、5歳の弟が「いしまる・まなぶ」、9歳の兄が「いしまる・かつき」と、親に付けられた偽名を名乗っていた。

 T班長は、当時を振り返って言う。

「6歳の双子には、松永が、『M1(エムワン)』と『M2(エムツー)』との符号をつけていました。その後、小倉北署盗犯係のM巡査部長とK巡査長の捜査で、母親が田岡真由美さん(仮名、37)であることも判明しています」

 ちなみに、松永と緒方の子供には、兄が「K1」、弟には「K2」との符号がつけられていたことも、明らかになっている。