自らを東大理三出身の外科医と偽った

 事件の全容が判明していないこともあり、当時、メディアの関心は逮捕された男女(後に松永と緒方と判明)に、双子の息子を預けていた、母の真由美さんに向けられた。

 子どもたちが保護されたとき、山口県内の飲食店で働いていた彼女は、その6日後の3月13日に、飲食店グループの会長と社長に付き添われ、我が子への面会を求めて北九州市児童相談所に出向いており、翌14日にその願いを叶えている。

 彼女は15日に山口県内で記者会見を開き、松永や緒方と知り合った時期について、88年だったことを明かした。電話帳で見つけた探偵事務所に人探しを依頼した際に、事務所の所員として松永と知り合ったと語る。そこで彼は「田代博幸」との偽名を使っていたという。

ADVERTISEMENT

 結婚詐欺などの標的を探すため、松永と緒方が架空の探偵事務所の広告を出していたことは確認されており、当時真由美さんは佐賀県佐賀市に住んでいたが、電話は彼らがいた福岡県柳川市に転送されていた。

 真由美さんによれば、その電話をかけた8年後の96年に、「田代」こと松永から再び連絡があり、夫婦仲が悪くなっていた彼女は、たびたび電話で「田代」に相談するようになっていたという。

 この時点で「田代」は、自身のことを東大理科三類にトップで入学した外科医で、探偵もやっていると説明。真由美さんと会う際には白衣や聴診器を用意しており、携帯電話で「××という薬を×グラム投与しろ」と指示を出すなど、それらしく振る舞っていた。

 その後、真由美さんは「田代」に誘われるまま、夫と暮らす佐賀市の家から出奔しており、松永と緒方の逮捕時には、山口県内の飲食店で働きながら、彼らに預けた子供たちの養育費などを支払っていたと話す。

福岡県警の家宅捜査が行われたマンション ©時事通信社

 当時、「北九州監禁連続殺人事件」の取材をしていた記者の間では、真由美さんを被害者として事件化するのではないかと囁かれていた。だが、徐々にその可能性は低いとされるようになった。T班長は振り返る。

「特捜のなかで細かく班分けをしていて、『罪証班』という班が、事件化が可能かどうかについての捜査をしていました。それで、私もじゃあちょっと本人に会おうということで、山口県に行って彼女と会っています。

 そのときは『難しいけど検討させてください』と持ち帰りましたが、やはり事件化はちょっと無理だとなり、M巡査部長を通じて、そのことを伝えました。ただ、保護された子供たちが児童相談所に入っていましたからね。早めに迎えに行ってあげてくれということは言っています」

PTSDを発症した被害者

 真由美さんについての事件化の可否を探るのと並行して、捜査本部は別の被害者に対する事件化を進めていた。それが原武裕子さん(仮名、41)だった。

 彼女の存在は、清美さんへの事情聴取のなかで浮上したが、T班長はそこからが大変だったと語る。

「罪証班のT巡査部長とK巡査長の捜査によって、負傷した裕子さんが最初に運ばれた病院がわかって、そこから辿って所在地を見つけたんです。だけど行ってもすぐには会えない。で、やっと会えたけれども、今度は話が取れないとかで、現場は苦労しとったみたいです」

 裕子さんは松永から受けた被害によって、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症していたのである。

「そのときに、PTSDというものがあることを初めて知りました。ただ私らも事件化をせずに、松永と緒方を逃がすわけにはいかないですからね。なんとか説得して、話を聞きよったわけです。そうしたら、だんだん詐欺とかの、事件化できる話が出てくるようになった」

 1996年2月に松永らに小倉北区の「片野マンション」(仮名)で殺害された広田由紀夫さん(死亡時34)。彼の高校時代の同級生が、裕子さんの夫だった。

 95年8月、松永は存命中の由紀夫さんに、裕子さん夫婦を紹介させる。その際に「村上博幸」という偽名を名乗る松永は、虚偽の経歴を由紀夫さんに説明させている。

「この人は京都大学を卒業し、いまは××(有名進学塾)の講師をして月収100万円を得ているが、将来は物理学者になる逸材である」

 松永はその後も手土産を持参して裕子さんの家を訪れ、彼女の服装や容姿を褒めちぎるなどして、如才ない好人物を演じた。