松永による裕子さんへの暴行は続く

 同年11月に裕子さんが夫の酒癖の悪さについて愚痴をこぼした際には、「我慢する必要はない。離婚すればいい」と離婚を促し、12月になると、彼女に好意を寄せているように装ってデートに誘い、交際を始めている。そして96年1月、松永が結婚を申し込んだことで、裕子さんは離婚を決意。2月に離婚を前提に自宅を出て夫と別居し、4月に離婚届を出している。3人の子供がいた彼女は、松永の勧めで長女を前夫に引き渡し、長男は実家に預けたままにして、3歳の次女だけを伴い、小倉南区にある「曽根アパート20×号室」(仮名)で、松永と同居することになった。それが10月のことだ。

 最初こそ裕子さんを大事に扱っていた松永だが、すぐに彼女を金づるとしか見ていない本性を現し始める。

 

 後の松永と緒方の裁判における、検察側冒頭陳述には、10月下旬に豹変した松永の姿と、その後の虐待について、次のようにある。以下、〈 〉内は冒頭陳述より。

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〈夕方ころ、「曽根アパート」において、同被害者(以下、裕子さん)に対し、いきなりその顔面を平手打ちにし、その髪の毛をわしづかみにして振り回し、その着衣を引きちぎるなどの暴行を加え始め、態度を豹変させて本性を剥き出しにした。

 そして、被告人緒方も、その間、上記共謀の下、裕子さんに対し、「抵抗しない方が良いよ。」と言って突き放すなどして、裕子さんの抵抗意欲を阻害し、これに加勢した。〉

 じつは松永は、裕子さんとの同居を始めてすぐに、姉とその息子たちだとして、緒方と自分の子供2人を同居させていたのだ。そんな松永による裕子さんへの暴行は続く。

通電への恐怖感からパニック状態となり…

〈引き続き、被告人松永は、そのころから翌日早朝ころまでの間、「曽根アパート」において、被告人緒方に命じて、電線に金属製クリップを装着させた電気コードを用意させ、同クリップで裕子さんの指、腕、脇の下及び耳等を順次挟ませた上、裕子さんに対し、延々と、その身体に通電させる暴行を加え続けるなどした。

 これに対し、裕子さんは、被告人松永の豹変ぶりに驚愕・混乱させられ、また、通電の際の強烈な痛みに激しいショック状態となり、加えて、いつ終わるとも知れない通電への恐怖感からパニック状態となり、以後、抵抗不能状態に置かれた。〉

 その後、松永は「片野マンション」にいた清美さんを「曽根アパート」に呼び寄せ、彼女を監視役として、裕子さんと寝起きを共にさせる。これにより、清美さんは裕子さんの存在を認知したのである。

〈連日のように、午前4時ころまでの間、裕子さんに(中略)通電させ、激しいショック状態を起こさせるなどの暴行を繰り返し、また、時には3歳の二女に対し前同様に通電させ、あるいは通電する旨裕子さんに告げるなどして恐怖感を増大させて、裕子さんを意のままに従わせた。〉

 松永らは、裕子さんに消費者金融での借金をさせ続け、所持品を入質によって換金させるなどして、彼女から現金を奪っていく。その期間も通電のみならず虐待は続けられた。

〈入浴は、約2週間に1回程度、被告人松永の気が向いた時にしか許さず、排便にも、逐一被告人松永の許可を必要とし、小便は、同和室内に用意したペットボトルに排出させることもあった。

 さらに、(中略)満足な食事は一切与えず、被告人緒方が用意したラードを塗った食パン約8枚と水のみを与え、被告人松永が、「20分以内に食べろ。」などと命じ、同パンを口の中に詰め込ませて水で流し込ませるという拷問的な苦行を強いた上、これが出来ない場合には、通電暴行により制裁を加えるなどしていた。〉

 監視役がいることだけでなく、3歳の娘が「人質」に取られていることから、逃走することができなかった裕子さんが意を決したのは、虐待が始まって約5カ月後のことだ。