「人生、終わったなあ」深刻な健康状態だったが…
「今の医学では治せません」とも言われる中、阿部さんは「人生、終わったなあ」と、幼心に感じていた。
みんなと一緒に走りたい、遠足だって行ってみたい──。ABCCのジープが迎えにきたのは、その頃だったように思う。
衣服を脱ぎ、ひんやりと冷たい器材を胸に当てられた。子どもなら泣いて嫌がる注射も打った。それでもつらいと感じなかったのは、病気のために「検査慣れ」していたせいかもしれない。サンドイッチとコーヒー、さらに施設内にあった木馬のおもちゃで遊び、嫌な気分になることもなく何度か通った。
「お茶づけと漬物が庶民の食事、という時代ですからねえ。こんなうまいもんがあるんかって、それはそれはうれしかったんですよ。僕はそれにつられちゃったんだろうね」
阿部さんの笑顔は屈託ないが、健康状態は深刻だった。10歳の時、執刀医が見つかって手術を受けることになると、母は親戚や近所から必死に血液を集めて回った。彼女も同じO型だったが、小柄な体形を理由に、輸血は医師に止められたのだ。
症例の少ない難しい手術で、成功したのは奇跡と言われた
症例の少ない難しい手術で、成功したのは奇跡と言われた。その後の人生は、幸運にも与えられたものだと捉えている。
中学生の時に漫画家を志し、書店勤務を経てメジャーデビュー。成人後は胃潰瘍や十二指腸潰瘍、腸閉塞など、7年ごとに入院する健康状態に追い込まれた。
とはいえ、病と原爆とを、結び付けて考えたことはないという。「被爆二世」という意識も、それほど強くはない。なぜ実名でのインタビューに応じてくれたのか聞くと、「差別も何も怖くないですから。だって、する方が悪いんですからね」と、事もなげに言ってのける。何事も現実的かつ冷静に、ものを考える人なのだろうという印象を受けた。
ただ、自分が受けたABCCの検査内容や両親の「原爆体験」については、関心があるようだった。
「できることなら、知りたいですよね」


