いくつもの偶然

 母親の礼儀正しい話し方は、松永と似ていた。疑問形の際に語尾を上げるイントネーションが気になり、「沖縄のご出身ですか」と聞くと、「私は伊江島の出身なんです」と明かした。

 松永の父方の先祖は福島県だが、父親は生まれも育ちも東京だ。そこに母親が嫁いできた。

 国頭郡伊江村に属する伊江島は沖縄本島の北西、美ら海水族館の対面に位置する。この二二・七六平方キロメートルの美しい離島は、苦難の歴史を歩んだ。戦中は旧陸軍の大飛行場が建設され、日米双方から沖縄戦の要衝とみなされた。伊江島での戦闘は「沖縄戦の縮図」と呼ばれ、疎開せず残った住民約四〇〇〇人のうち約一五〇〇人が命を落とした。戦後も米軍の弾薬爆発で一七七人が死傷するという、米軍統治下で最大の事故が起きた。

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 母親の親族も沖縄戦で命を落とした。沖縄が日本に返還されたのは、中学一年生のとき。県立那覇商業高校を卒業後、就職のため本土に移る。知人の紹介で、川崎市中原区の工場で働き始めた。その後、都内の会社に転職し、二〇代で父親と結婚。二人の娘と拓也を育てた。

 母親は里帰り出産で、沖縄県名護市の病院で拓也を生んだ。

 真菜さんも姑と同様に一時的に故郷の那覇に戻り、莉子ちゃんを出産した。つまり、松永家は母親、拓也、莉子ちゃんと三代続けて沖縄生まれなのだ。母親は自身の経験を、真菜さんに重ね合わせていた。

「真菜ちゃんは相当な決心をしたんだと思います。私も長男の嫁として、いろいろとあったので、真菜ちゃんに寂しい思いをさせたくなかった。嫁姑という関係じゃなくて、友達って言ったらおかしいんですけど、私なりに心の支えになれたらと」

 母親がそう思った背景には、もうひとつの偶然があった。

 末っ子長男である拓也と真菜さんの結婚が決まったのち、真菜さんの母親、喜美子から電話がかかってきた。喜美子は娘から話を聞く中で、結婚相手の母親が高校時代三年間のクラスメイトであることが判明したのだ。二人は偶然の再会に驚き、喜んだ。

 母親は、喜美子に「うちのこんな拓也で本当にいいの?」と冗談半分、半分本気で結婚を心配した。すると、喜美子は真剣な口調で断言した。