「あんな素晴らしい人はいないよ」
「拓也のことを全然わかっていないよ。拓也は真菜のために生まれてきた人なんだよ。あんな素晴らしい人はいないよ」
母親は冗談を言ったつもりだったが、ショックを受けた。しかし、喜美子が拓也のことを大切に考えてくれていたことを知り、こう決意した。
――私は真菜ちゃんのことを絶対に守ろう。それが自分の使命なんだ。
松永が育ったのは東京だったが、そのルーツを辿っていくと、人間の紐帯が幾重にも織りなす、沖縄の濃密な世界が広がっていた。
いつも持ち歩いている育児日記
八月一六日の午後三時前、羽田空港第一ターミナルの出発ロビーで松永と落ち合った。夏の空港は人の気持ちを浮き立たせるものだが、曇り空とにわか雨特有の匂いが水をさした。日本航空(JAL)の九州・沖縄方面行きのチェックインカウンターには長蛇の列ができていた。
松永のポロシャツ、白い短パン、白いスニーカー姿は、周囲の喧騒に違和感なく溶け込んでいた。沖縄の旧盆は昨日で終わっていたが、那覇行きのJAL九九五便は大勢の客で賑わっていた。麦わら帽子を被った女性や、くしゃくしゃの浮き輪を持ち歩く子供もいた。
松永はスーツケースを引きながら、眉間に皺を寄せ、口を一文字に結んでいた。テレビで見る松永は猫背で小さく見えるが、機内のキャビンに手荷物を難なく収納する姿を見て、意外と背が高いことに気づいた。松永は窓際の席に静かに身体を沈み込ませた。
松永はこの路線に数えきれないほど乗ったが、事故後はじめて妻の実家を訪ねることになる。彼の瞼に焼きついていたのは、いつも隣に座っていた妻と娘の姿だ。今までは羽田で三人分のチケットを受け取っていたが、今回は一人分。あらためて二人はいなくなったことを感じた。
私は彼と一対一で顔を合わせるのは二回目に過ぎず、真横に座るのは憚られたため、通路を挟んだ席を予約した。機体が滑走路を離陸しても、彼はずっと無言だった。
私は緊張していたが、意を決して切り出した。
「真菜さんの育児日記を見せてくれませんか」
