映画興行に対するこの特異なスタイルが、すべて原作者ナガノ氏の意志である、という確たる証拠、今回のオフィシャルインタビューはじめ、どこかで明言されたソースがあるわけではない。だが多くのファンが、他にこんな決定をできる人物はいない、これは原作者の意志なのだろう、と推測していた。
無理もないだろう。「ちいかわ」製作委員会に名を連ねるのは、あのフジテレビである。日本で映画を見て育ってきた観客は誰でも、フジテレビが大規模映画宣伝に対してどういうスタンスを取る企業かよく知っている。テレビ局の人脈をフル動員した俳優・芸人・アーティストのキャスティングこそを自社の強みと位置付け、隙あらば自社アナウンサーが本人役でカメオ出演することを全国民が熱望していると2026年の今も信じて疑わないお祭り企業である。
映画ライターである筆者自身、『映画ちいかわ』の企画会議でフジテレビ側が突然「今回はゲスト俳優やアーティスト主題歌のコラボなし、舞台挨拶などのイベントも一切なしでいきましょう」と言い出す光景を全く想像できない。
こうした、言わば「ちいかわスタイル」がすべての映画にとって正しい、他の映画もこうなるべきだとは必ずしも思わない。筆者は映画ファンとしてはむしろ舞台挨拶で聴けるキャストや監督の裏話を目当てに何度も劇場に足を運ぶタイプだし、パンフレットもインタビューが最大の楽しみで買っている。だが、ここまで作品の世界観を貫くちいかわのスタイル、それもフジテレビや東宝相手にこれだけの規模で動く資本の中で「クリエイター個人の哲学」を貫く姿勢には驚嘆するしかない。
「まるで神話」「メッセージが何もない」割れる世間の評価
『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』をめぐって興味深いことのひとつは、映画の評価、ひいては作者のスタンスに対する評価までが観客、論者ごとに大きく分かれる点である。
日本だけではなく、神話を研究する学者の立場から、八百比丘尼やセイレーンの人魚伝説をふまえた論考がnoteで書かれ(沖田瑞穂『映画「ちいかわ 人魚の島のひみつ」を観て――神話学的観点から』note)、JapanTimesには「ハローキティよりもドストエフスキーに近い内容だった」という英文記事(『‘Chiikawa’ was always darker than it looked』)が掲載された。外国の観客からも「まるでギリシャ神話の悲劇を絵本の童話のスタイルで語りなおしたようだ」と絶賛する声がある一方、社会学者による「メッセージが何もないからこそ良いのだろう」という論考(鈴木洋仁『「クレヨンしんちゃん」「プリキュア」とはまったく違う…映画「ちいかわ」が破った"長編アニメのお約束"』プレジデントオンライン)が記事になり、SNSでは反発する声も上がった。
これだけ大ヒットしている映画だからこそ、批判的、否定的な意見には寛容になるべきだと思うし、異論を叩き潰して皆が絶賛するべし、というネットの圧力はかえって作品への評価を正当なものにしないとも思う。だが、筆者には『ちいかわ』という作品、そして作者がSNSの投稿から始まった作品をここまで大きく育てたプロセスは、大きなメッセージを含んでいると思う。ここからは『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』のネタバレにふれることをお許し願いたい。といっても、映画化された作品の原作は今もネットですべて無料公開されているのだが。
