王道エンタメかと思いきや…『映画ちいかわ』のスゴいところ
この映画は中盤まで、ちいかわたちが訪れた南の島でセイレーンに襲われる「ジュラシック・パーク」のようなハリウッド型の王道アクションとして進行する。「簡単な討伐」と侮って訪れた島で巨大な恐怖に襲われ、和を乱す仲間、不思議な力を持つ助け人と出会う構成は、エンターテインメント映画の基本を完璧に踏まえた見事な物語構造だ。
だが物語はクライマックス以降に大きな暗転を迎える。セイレーンの仲間の一人を殺したのは、死に瀕したフタバを助けようとするヒトハであり、その肉を食べたことによって二人は不老不死になっていたのだ。その復讐として犯人を探し出し、暗い場所の狭い檻に閉じ込め「永遠の命を味わってもらうの」とセイレーンは宣告する。
「永遠の命が必ずしも至福ではない」というテーマは、手塚治虫の『火の鳥』をはじめとして日本のマンガアニメの中で何度も語りなおされてきたテーマである。だがそれを「では、目の前で大切な人が死のうとしている時に、死と永遠の命のどちらを取るのか」とつきつけ、「その大切な相手から『私を不死にしたのだからお前も生きろ』と求められて拒めるか」という形で描く、そのシークエンスを一切のセリフなしのシンプルな絵のみで描くこの映画の手腕は見事なものである。
絵の省略にしても、目鼻口を点と線でシンプル描くのは子供アニメの定番だが、ヒトハとフタバはそれすらない、輪郭のみでという驚くような省略でありながら、そこに物語とともに、まるで能楽師や人形浄瑠璃の芸のように豊かな表情が浮かぶ。今回公開されたロングインタビューによれば、原作のラフの段階では顔も描きこまれ言葉をしゃべる設定だったが、それを原作段階でバッサリと切って作られた引き算のキャラクターだ。
「最近の映画はなんでもセリフや大げさな表情で説明する、そうしないとレベルの低い観客にはわからないからだ」というのは評論家や知識人のしたり顔による大衆映画批判の決まり文句だが、『ちいかわ』はセリフも絵の情報量も最小限におさえながら、数百万人の観客を物語の船にのせて運ぶことに成功している。
それは今回のロングインタビューでもわかる通り、言葉にするセリフがほとんどないからこそ、ヒトハとフタバの鳴き声のような感情表現を話題性のあるゲストに任せていないからだ。「参加者が最も多く一番難航した」と語るオーディションで、ヒトハは寺澤百花、フタバは鈴代紗弓という実力あるプロの声優を選定し、「ヒトハは少し抜けた雰囲気、フタバはしっかり者の雰囲気で、というお願いをしました」と詳細な演技指導をしている。
同じく人語を話さない3人の人魚についても「人魚の大木(咲絵子)さん、七瀬(彩夏)さん、南雲(希美)さんもそれぞれ時間をかけて選ばせていただきました」と、プロの声優の名を一人ずつあげ、「アフレコの際は、テレビ版から長くお世話になっている音響監督の土屋(雅紀)さんが、こちらの意図したニュアンスを分かりやすく伝えてくださいました」と音響監督に感謝の意を示す内容は、映画パンフレットを「作品ファースト」の絵本のようなスタイルに統一したために掲載できなかった、キャストやスタッフへの賛辞と敬意を示している。
セイレーンの「永遠の命を味わってもらうの」というたった一言のセリフも圧巻である。普通はこのセリフを「永遠の苦しみを味わってもらう」とか「永遠の生を生きる苦しみを味わってもらう」と書いてしまうのだが、「永遠の命を味わってもらう」という言葉には「命そのものが苦しみである」という仏教的な逆転がある。平易でシンプルだが、恐ろしいほど鋭く研ぎ澄まされた言葉選びだ。
『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』のスタッフロール後の最後のシーンは(究極のネタバレだが、これも原作が無料でネット公開されているし、公開から2週間経つので許してほしい)ヒトハとフタバが二人の逃避行として選んだ島(この島の洞窟に二人が隠れる姿は八百比丘尼伝説を踏襲している)の近海で、セイレーンたちがその島を目指して泳ぐ、という不吉なワンショットで終わる。中盤はアクション映画として楽しみ、最後はハッピーエンドと見せてラストショットでホラー映画として終わる見事な構成だ。将棋や囲碁で言えば鬼手と言えるだろう。

