1943年6月、東京・帝国ホテル。インド独立の英雄チャンドラ・ボースの突然の会見は世界を揺るがした。彼は連合軍の包囲網をかい潜り、Uボートと日本潜水艦を乗り継いで極秘来日を果たしたのだ。

 当初、ボースを警戒し、会談を拒み続けていた首相・東條英機だったが、初めて直接向き合うと彼の熱情と圧倒的なカリスマ性に一変して魅了される。ここでは、日本を巻き込んだインド独立運動の舞台裏を『完全版 インパールの戦い』(文春新書)より抜粋して紹介する。

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チャンドラ・ボース来日

 1943年6月19日、東京・帝国ホテル。インド独立運動指導者、スバース・チャンドラ・ボースが記者会見を開いた。

「みなさんは、このような時にわたしがどうして世界のこの場所にやって来たか、不思議に思っておられるかもしれない。長年、わが住まいはインドとビルマに置かれていたイギリスの監獄だった。しかし、インドの監獄で無為に座ったままでいるのではなく、日本の中心部で今日こうしてみなさんの前に立っているという事実は、わが国を席巻する新たな運動にとって象徴的な意味を持っているのです」

 自分が来日した意義について、ボースはこう語った。会見の終盤、彼は日本に対してこう期待を寄せた。

「今日、日本はわれわれの共通の敵に対して戦争を行っています。(中略)過去、インドと日本は2000年にも及ぶ密接な文化的紐帯によって結びついてきました。近年、イギリスによるインド支配によってこの紐帯は阻害されてしまっています。しかし、ひとたびインドが自由を獲得すれば、この紐帯が復活し、さらには強化されることは間違いありません」(Subhas Chandra Bose, Chalo Delhi, pp.17-19)

チャンドラ・ボース

 ボースが東京に姿を現してメッセージを発したことは、イギリスやインド、アジア各地の植民地当局者や政治家、民族運動指導者らを驚愕させた。この年の4月13日、ベルリンから放送される「自由インド・ラジオ」でアムリトサル虐殺事件二四周年について演説を行っていた(Bose, Azad Hind, pp.200-204)。