「特攻作戦の志願者は一歩前へ」「仕方がないと心で泣いて」一歩前に
このときから1年2カ月後の昭和20年4月、上原は第五十六振武隊の特攻パイロットになっている。どのような経緯があったのか、それは遺族にも今にいたるもわかっていない。だが、第十一錬成飛行隊に属するパイロットたちは一堂に集められ、「特攻作戦の志願者は一歩前へ」と指揮官にいわれたらしい。
表向き、特攻作戦のパイロットは志願というかたちをとっているといわれるが、実際には志願をしない者は卑怯者扱いされる空気が醸成されていた。
上原は、このあとある友人に「仕方がないと心で泣いて」一歩前に出たとこっそりと漏らしている。第五十六振武隊は、11人の学徒兵のパイロットで編成された。早稲田や慶應、それに東大などの学徒兵が主になっていたという。
「必ず一艦をほふれ。」翌日出撃のパイロットたちへの中将・菅原の激励の言葉
5月10日の夕方、知覧飛行場(鹿児島県)の戦闘指揮所付近に、翌日に出撃する振武隊のパイロットたちが集められた。ここで第六航空軍司令官で中将の菅原道大が、訣別の言葉を述べている。
このときの光景は、当時日本映画社に属していた報道班員の高木俊朗(戦後は作家として、特攻作戦の悲惨さを訴えた作品を数多く発表している)の作品や証言、さらには上原良司について書かれた書(上原良司、中島博昭著『あゝ祖国よ恋人よ』)でもふれられている。
そこから引用すると、菅原は次のようなことをいって激励したというのである。
「諸士は特攻隊として、明朝出撃する。諸士はあらかじめ計画したところにより、それぞれ敵艦を求めて攻撃する。諸士の攻撃は必死の攻撃である」
「特攻隊はあとからあとからとつづく。またわれわれもつづく。特攻隊の名誉は、諸士の独占するものではない。各部隊がみんなやるのだ。諸士だけにやらせて、われわれが黙って見ているというのではない。ただ諸士に先陣として、さきがけになってもらうのである」
「必ず一艦をほふれ。一船をほふれ。それまでは万全の注意をしてやれ。諸士がその覚悟でやる限り必ず勝つ。あとのことは、われわれが引き受ける」


