「アメリカへ行かぬまえに、おだぶつさ」遺族の手帳に記されていた特攻隊員たちの雑談
「明日ハ自由主義者が一人この世から去つていきます。彼の後姿ハ淋しいですが、心中満足で一杯です」という語は、まるで判じ絵のように、次代の者に呼びかけている。以来、私はことあるごとに、上原の「所感」をある時代の良心というふうに捉えてきた。ケースのなかから小さな手帳がでてきた。上原清子のものだった。
昭和20年5月1日、つまり死の10日前、当時、東京女子医専の学生だった清子が、調布の飛行場に仮に宿泊していた兄良司を訪れたときの印象をつづった手帳だった。良司は第五十六振武隊の特攻パイロットたちと雑談にふけっていた。
兄が特攻として出撃することを知らなかった清子は、このときの彼らの雑談があまりにも妙だったので、記憶から消えぬうちにとその夜下宿に戻って書きのこしたのである。
「ああァ、雨降りか。全く体をもて余すよ」
「よし、俺が新宿の夜店で叩き売ってやらあ」
「その金で映画でも見るか」
「お前の体なんか二足三文で映画も見れねえや」
「それより俺達の棺桶を売りに行こうや。陸軍省へ行ったら30万円には売れるぞ」
「30万円の棺桶か。豪勢なもんだろう」
「これがニューヨーク爆撃なんて言うなら喜んで行くがな。死んでも本望だ」
「実際(ママ)だ。心残りはアメリカを一ぺんも見ずに死ぬことさ。いっそ沖縄なんか行かず東の方へ飛んで行くかな」
「アメリカへ行かぬまえに、おだぶつさ」
「向うの奴ら(保阪注・アメリカ軍)何と思うかな」
「ホラ今日も馬鹿共が来た。こんな所までわざわざ自殺しに来るとは間抜けな奴だと笑うだろうよ」
彼らは仲間うちでこういう会話を交わして気をまぎらわせていたのだ。清子のこの手帳には、彼らの独り言も書かれている。「ああァ、だまされちゃった。特操なんて名ばかり良くてさ。今度生れる時はアメリカへ生れるぞ」という言も書かれている。


