「出撃の前夜記す」上原が憑かれたように一気に原稿用紙に書いた心情
20歳から22、3歳までの学徒兵は、この言をどのように聞いたであろうか。特攻隊員たちは兵舎に戻り、私物を整理しはじめた。上原はただひとり座ってタバコをふかしていた。戦後になって高木が、あるラジオ番組で証言しているのだが、その姿に打たれて、「出撃する前の気持ちを書いてください」と申しでた。すると、上原は「何を書いてもいいですか」とたずねた。高木はうなずいて日本映画社の原稿用紙をわたした。
上原は、それに憑かれたように一気にその心情を書いた。それが284ページの「所感」であった。戦後すぐに、高木は上原家にこの原稿を届けている。今は、紙色は変色しているが、その文字は消えていない。途中までは万年筆だが、インクが切れたのかそのあとは鉛筆で一気に書かれている。頭のなかで自らの考えが整理されているのか、一字の訂正もない。字の乱れもない。
「出撃の前夜記す」という文字が欄外に遠慮深げに書かれている。
「目ざす敵艦体当り男ならやって散れ」円陣をつくり歌った別れの歌
昭和20年5月11日未明。知覧飛行場には地元の人たちが多数集まっていた。特攻パイロットの出撃時には、国防婦人会の婦人などが集まるのが習慣になっていた。上原の属する第五十六振武隊からは、この日3人のパイロットが出撃する。
それに第五十五振武隊の4人のパイロットが加わって一隊を編成する。整備兵が機体を点検する。その間に7人は、自らとともに突っこむ機の前で円陣をつくり、別れの歌をうたった。「男なら」という歌である。
目ざす敵艦体当り男ならやって散れ
というのが、歌の最後である。少年整備兵が上原の飛行機に走りより、摘んだばかりの草花を操縦席に飾った。上原はそれを無表情にみつめている。
午前6時15分、誘導機に率いられて、振武隊のパイロットは知覧を飛びたった。上原は手を振る人たちに笑顔を返していたという。
この日、日本陸軍の第六航空軍、海軍特攻機64機が沖縄に向かった。連日の特攻作戦のなかでも、日本軍がもっとも激しく体当たり攻撃を行った日だった。沖縄上空では、アメリカ軍の機動部隊がなんども波状攻撃をしてくる特攻機を狙い、艦上から攻撃機を発進させ迎撃態勢をとっていた。


