廃止されるローカル線は単線であることが多く、クルマが走るような一般的な道路にするには幅が狭すぎる。かといって、細長い廃線跡を開発したいというデベロッパーもそうはいない。そんなわけで、遊歩道になるのである。
おかげで廃線跡歩きはだいぶ楽ちんだ。遊歩道を散歩気分で歩いてゆく。途中、大粒の汗を流しながら草刈りをしている地元の人とすれ違う。道沿いに植えられている木や草花は、沿線に暮らす人々の手によって管理されているのだという。廃止から40年あまり経っても、西寒川支線を転じた遊歩道は地元に愛されているのだ。
「レールもまくらぎもそのまま残っていた」
ほどなく地面にレールが埋め込まれ、車止めの如く鉄道車両の車輪が置かれている場所に出た。その先には、「一之宮公園」という立派な公園が広がっている。遊歩道になった廃線跡は、ほとんどレールやまくらぎは撤去済みだ。が、この公園の中は現役時代のレールもまくらぎもそのままに。どことなく貧弱に見えるレールは、1日4往復しか走っていなかった超ローカル線という、廃線時の西寒川支線の様子を物語っているのだろうか。
一之宮公園に一之宮緑道、さらにこの周辺の地名も一之宮。由来はもちろん、相模国一之宮の寒川神社だろう。遊歩道の入口近くの相模線の踏切の北側には、寒川神社の大きな鳥居もあった。この町は、古くからの寒川神社の門前町なのだ。そして、江戸時代には中原往還の宿駅という役割も持っていたという。
そうした歴史とこの小さな廃線跡にはどこまで関係があるのか。考えを巡らしながら一之宮公園を抜けて少し歩くと、廃線跡の遊歩道は終点を迎える。





