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上官に殴られるかと思いきや…
12月15日、十四期予備学生は揃って海軍少尉に任官する。防衛省防衛研究所所収の「海軍辞令公報一六八〇號(昭和19年12月28日)」によると、大川原の海軍での成績は、3323名の同期生中77番と、トップクラスだった。
「神之池基地で単独でのスタント飛行ができるまでの訓練を受け、実戦部隊に格上げされていた谷田部海軍航空隊に戻りました。しかし、米軍のグラマンを相手に編隊空戦ができる腕前にはほど遠かったですね。
東京が大空襲を受けた直後だったと思います。3月半ばのある日、『搭乗員総員集合』の号令がかけられ、司令・梅谷薫大佐より、特攻志願者募集の伝達が行われたんです。当時のこと、『否』と書くのは勇気が要りましたが、あと2ヵ月、零戦で訓練が受けられれば空戦ができるようになる、そう思って『否』と書きました。仲間のなかには『超熱望』や『超々熱望』と書いた者もいたようですが。
分隊士・千葉浩一中尉(戦後三菱銀行取締役、ツムラ顧問)に呼ばれて『否と書いたのはなぜか』と聞かれ、『戦闘機乗りとして空戦で死ぬなら本望です』と答えたら、叱られると思いきや『確かに貴様の言う通りだ』と言われ、耳を疑いました。海軍にはこんな上官もいたんです」



