「口コミでお客が来なきゃダメなんだ」
大川原は牛たん店の元祖「太助」の佐野啓四郎に教えを乞い、職人を派遣して料理を習わせた。佐野は大川原に、「牛たんのうまさは粗野な感じの方がいい。庶民の味なんだよ。椅子は板でいい。でも、見えないところは清潔にな。そして絶対に宣伝はするな。宣伝しなくても口コミでお客が来なきゃダメなんだ」と言い、大川原はそんな佐野の商売の姿勢に共感を覚えた。
佐野も、いわばライバル店の出現であるにもかかわらず、大川原の開店のために的確なアドバイスをくれた。そして、1975年1月1日、仙台の一番町に1号店をオープンした。屋号は師匠である「太助」にちなんで「㐂助」とした。メニューはたん焼き200円、テールスープ300円、麦飯80円。飲み物は焼酎に酒、ビール。オープンにあたっては、大川原も、次男の潔と一緒に「太助」に通い、包丁の使い方から牛たんのむき方、テールの切り方などを学んだという。
そして1978(昭和53)年には、店は有限会社に成長。1980(昭和55)年、仙台駅前にある日乃出ビル4階に2号店を出した。駅前とはいえビルの4階というハンデはあったが、この店も繁盛し、「水戸黄門」で有名な俳優の西村晃、茶道裏千家の千玄室(当時は宗室)ら海軍予備学生十四期の同期生たちも、仙台を訪ねた折には来店するようになった。
大川原は、1984(昭和59)年には東宝映画「零戦燃ゆ」の軍令部と連合艦隊の会議のシーンに中佐の参謀役でエキストラ出演、39年ぶりに海軍の軍服に袖を通し、一緒に出演した海軍時代の仲間たちと遅くまで語り合ったりもしている。


