ほどなく、神之池桜花隊第三分隊長だった湯野川基地で、桜花の練習機型K-1での滑空訓練が始まった。母機の一式陸攻から、ハシゴを伝ってK‐1の操縦席におさまると、風防を閉め、バンドを締めて各部を操作し、『・- - -・』(ト・ツー・ツー・ツー・ト)と、電信音(モールス信号)で母機に合図を送る。高度3500メートル、投下のタイミングがくると、母機から『・・・-・』(ト・ト・ト・ツー・ト)という信号が届き、最後の短符が耳に届くと同時に、K-1は母機から切り離される。
「桜花ほど安全な飛行機はない」
「乗り込んだときは爆弾倉が真っ暗で、かろうじて下のほうに薄く外界の光が見える。あまりいい気はしませんが、投下されてガーッと機首を突っ込んで、250ノット(時速約460キロ)ぐらいの高速で操縦桿を動かしてみたとたん、これはいい! と思った。舵の効きがいいし、すばらしく操縦しやすい。零戦のようなエンジンのある飛行機だと、下手に急降下するとどうしても機首が浮いてしまいますが、桜花(K-1)は自由自在、思ったところへきちんと持って行けるんです。逆説的ですが、桜花ほど安全な飛行機はない、とさえ思いました」
K-1による訓練は各人1回のみで、それが終われば、あらゆる作戦に使用可能な『技倆A』とみなされる。その後の訓練は、零戦を使っての襲撃訓練などが主体となる。
11月25日には桜花隊の分隊編成が行われ、第一分隊長・平野晃大尉(戦後、航空幕僚長)、第二分隊長・三橋謙太郎中尉、第三分隊長・湯野川守正中尉、第四分隊長・林冨士夫中尉の四個分隊編成となった(三橋、湯野川、林の3名は12月1日、大尉となる)。
分隊長は、いざ出撃のさいには、自ら桜花を操縦して敵艦に体当りする立場の指揮官である。53名の搭乗員を預かる分隊長となった湯野川は、12月1日、海軍兵学校のクラスメートでもある三橋謙太郎大尉とともに、岡村司令同席のもと、連合艦隊司令長官・豊田副武大将からじきじきに、フィリピン・レイテ島沖の敵艦隊への体当り攻撃の内示を受けた。
予定期日は12月23日。そのため、辻巌中尉以下、七二一空の桜花整備員11名がフィリピンへ先発する。



