ここにその全文を掲載したい。なお、読みやすくするため、意図が損なわれない程度に、必要に応じて手を加えている。

出自と家族のこと

〈私がこうして手記を書きたい理由の一つとして、あまりにも本当の私と違うことが、今までメディアや雑誌やその他の書籍で一方的に書かれていたからです。そして、私の思いや気持ちを書きたいと思いました。

 私は昭和48年12月に鳥取県中部地方にて生まれ育ちました。私が小学校4年生ごろまで育った村は、解放同盟(被差別部落)と言われている小さな村でした。

ADVERTISEMENT

 私は父母と兄の家族でしたが、父は建設業等で一生懸命に働いていて、私にはとても優しく甘い父でしたし、いつも父のヒザの上で、小さいときは食事をしていましたし、いつも父のヒザの上で何をするにもいた私でした。私は父がものすごく大好きで、父がたまに母が忙しいときに作ってくれる料理やおやつがすごく嬉しかったのを、いまも鮮明に覚えています。

 父も母も私の保育園から中学校までの行事に必ず参加してくれていたのですが、私の通っていた小学校・中学校では山登りがあり、私は体力がなく、また、小学校のときは親子参加でしたので、父が頂上までおぶってくれたことがいまも忘れられません。でも、こんなに大切に育ててくれた父にも、私は「何で被差別部落に私は生まれたん? おとうちゃんのせいだ」と父を強く責めてしまったことがありました。

 そんなときでも父は、自転車の後ろに乗せて「お父ちゃんも生まれたくて生まれたんじゃない。みいちゃんのおじいちゃんやおばあちゃんは、お父ちゃんよりももっと苦労してるんだよ。みいちゃんが大きくなるときには、こんな差別や問題がなくなっているといいね」とやさしく私に言ってくれていたのです。