甘い父親、料理好きの母親
とにかく私は父っ子で、父が大雪の時期とかに出稼ぎに行ってしまうときがあったり、病気とかで入院したりすると淋しくて、私は父が入院中の時期が夏休みと重なったりしたときは、付き添いはいらないのに父と一緒にいたいために病院にずっと行っていました。
父にほとんど怒られたことがなく、甘やかされて育てられた私です。母は母で、私が小学校3年生の終わりごろまで、いつも家にいて、家で内職をしていたり、手作りのおやつを作って待っていてくれた母でした。
母は料理がとても上手で、毎日の食事はもちろんですが、学校でお弁当の日があるときは、母はとっておきのお弁当をいつも作ってくれていました。おにぎりもイチヂクの形のや熊さんとか作ってくれていて、フタを開けるとき、とても嬉しかったです。
運動会や親子遠足のときも食べきれないくらいの色々なご馳走を作って持ってきてくれたり、家に帰ると手作りの蒸しパンやチーズビスケットや、笹巻きを作って待っていてくれ、服も手作りで作ってくれたりと、色々してくれた母です。
兄は、父が私に甘いぶん、少し厳しい面がありましたが、私にとって自慢の兄でした。少し歳が離れていることもあり、兄はもう一人の父みたいな感じだったと思います。
父は、55歳という若さで病気のため亡くなってしまい、とても悲しくて、父の死をなかなか受け止められませんでした。
家に帰るたびに身体が浮腫んだり、顔は痩せているのに身体は「お腹に赤ちゃんがいるの?」と思えるくらい腹水がたまり、目も身体の色も変わっていく父の姿が悲しくて、父の最期のときは、私は大阪に住んでいたのですが、朝、母から「入院しているお父ちゃんの様子がおかしい」と電話があったのですが、まさか母が、また、大袈裟に私を帰らそうと冗談を言っているのだと思って、「わかった、わかった」と聞いていたのですが、その後、次々に兄や親類から電話があったので、慌てて鳥取に帰ると、父はもう意識がなく、ただ一人娘の私の帰りを待っていてくれたのを知りました。