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「プリンス」と呼ばれた船田元が読み解く小泉進次郎の苦悩

小泉進次郎は変節したのか? 連続インタビュー #1

2018/10/10
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注目させるオーラを持っている

――船田さんから見て、「小泉進次郎」とはどんな政治家でしょうか。

船田 やはり、党の会合に彼が来ると、「あ、来たな」とわかります。場が光るというか、みんなの顔が明るくなる感じがする。あまり政治経験は長くないですが、人をひきつけたり、注目させるオーラを持っている。若い人としては珍しい。

――今の彼と同じ30代後半、船田さんは史上最年少入閣を果たし、永田町のスポットライトを独り占めにしていました。

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「プリンス」と呼ばれていた時代の船田氏(1995年撮影) ©文藝春秋

船田 私なんかは全然。たまたま小沢一郎さんに私を買っていただいて、小沢さんの代わりに色々なことを動かしたことはありますが、小沢さんが背後にいたので、あれは決して自分の力ではありません。

 私はたまたま25歳で初当選したので、お兄さん世代、お父さん世代のような人たちが初当選同期という中で若いうちから注目されましたが、半分は嬉しい、半分はやっかみとか恨みとか妬みとかあるんだろうと気になってしまいましたね。

 例えば、新聞を開くと同じ会合に出ていた同期の中で私の名前だけが出ていることがあります。そういうのも、半分嬉しいけど、出たおかげでマズイなというか、ちょっとこれは後でフォローしないとヤバイなという気持ちをいつも抱えていました。それで、自分自身をコントロールしたり、ある時はブレーキをかけたりしました。

 自分から積極的に食事に誘って全部おごってみたり、党内で部会長になった時には、人事権を多少なりとも持つので、あの同期を副部会長につけようとか、部会長代行につけて「私の片腕でがんばってくれ」とか、引き上げるようにしました。

「総理の椅子」を考えていなかったというと嘘になる

――やはり周囲の関心は血統に集まるものでしょうか。

船田 確かに、順調にやっていた頃は、「衆議院議長の孫」、「最年少」ということで珍しがられた時期はありました。地元の人も「必ず総理大臣になる」と言ってくれて。今は、お詫びしないといけないんですが。

現在、当選12回(栃木1区選出)。初当選からは39年が経った ©文藝春秋

――人気絶頂の頃というのは「総理の椅子」が見え、いつ天下を取るかも具体的に考えていたのでしょうか。

船田 考えていなかったというと嘘になりますね。50歳がひとつの節目だと思っていました。

――どうして「50歳」だったのですか。

船田 うちの父親が栃木県知事になったのが51歳。だから50歳というのは目指すべきポイントかなと思っていたんです。そういう物差しになるんですね。しかし、途中で挫折がありまして、それでちょっと計算が狂いまして。

――どんな挫折ですか。

船田 それはもう、ご想像にお任せします。それでも、諦めたかというと諦めていなくて。次は「60歳までに目指そう」と考えていました。うちの父親は62歳で、早くに死んでいるんです。