戦後復興から高度経済成長期を経た日本では、東京・大阪といった大都市部に人口が集中した。そのため、過密の解消が問題になり、1970年代からは地方の時代が提唱されるようになった。

また、それまで豊かさだけを追い求めてきた日本の政治は大きく転換を迫られ、住環境の整備をはじめとする生活に目を向けた政策を打ち出す首長も増えた。同時期は、一般的に革新自治体の時代とも称されるが、そうした革新自治体下で戦災復興から高度経済成長期に大都市部で起きていた歪みを是正することが求められた。

過密の大きな原因は、大都市に偏在・集積した企業のオフィス・工場が理由のひとつだが、政府も企業も生産力を今以上に高めるべく、工場拡張の必要性を認識していた。

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戦後に地価が急騰した東京で広大な工場地を確保することは難しく、また住宅が密集している点からも騒音・振動・大気汚染・水質汚濁といった問題から敬遠された。企業は工場の拡張を模索し、広い工場地を求めて郊外に触手を伸ばした。その一方、一大消費地である東京の拠点を完全撤退させるわけにもいかず、それが両立する宇都宮に白羽の矢を立てた。

新幹線が開通しても風景は変わらず…


宇都宮市には国鉄(当時)の宇都宮駅と東武鉄道の東武宇都宮駅があり、両駅は約2キロ離れている。市の中心部は東武側で、栃木県庁・宇都宮市役所が立地し、商店街なども形成されていた。

一方、宇都宮駅は市の玄関口として機能していたが、それは市外から来街者が利用するというものに過ぎず、1982年に東北新幹線が開業しても変わらなかった。

東北新幹線の開業によって東京からのアクセスが向上したことは、東京近郊から事業所を移転させるという機運を加速させた。それでも依然として宇都宮駅周辺が市街化することはなく、特に市街地と反対側の宇都宮駅東口は荒涼とした風景が広がっていた。

逆説的に言えば、そうした宇都宮駅東側には大規模工場が進出する余剰があり、実際に高度経済成長期からバブル期にかけて多くの企業が進出し、幹線道路沿いには大規模な工業団地が造成されていった。