――ジャッキー・チェンにも影響されていたそうですけど。

大島 僕は1971年生まれのベビーブーム世代で人数も多かったんですけど、まず役者の方を考えたので、日大芸術学部の演技コースを目指したんですよ。大阪芸大とかも受けましたけど、勉強が嫌いだから全然受からなくて。

 で、ジャッキー・チェンも好きだったから、ジャッキーみたいに撮る方も考えたりとかして、八王子工学院とか受けたら受かったけど、やっぱりもうちょっと挑戦したいって言って、勉強しないくせに頑張って2浪して、日本映画学校を受けて。1992年、21歳で日本映画学校の俳優科に入ったんです。

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日本映画学校時代の大島さん(左)。イケメン!

――ジャッキー・チェンは、どういった部分に魅力を。

大島 ジャッキーはお笑いを入れてくれるのが好きで、三枚目なところを出すじゃないですか。あれが好きだったんですよね。ブルース・リーはもう全然シリアスで、カッコいいんですけどね。ジャッキーのカッコよくて笑いが入って、みたいなところがすごくツボだったんでしょうね。

「なれるんだったらお笑いのほうがうれしい」とさらに路線変更

――日本映画学校に入学してからは、黙々と俳優を目指して。

大島 日本映画学校って、俳優科に入ると2年生で「漫才実習」を受けるんです。俳優の勉強の一環としてやるもので、内海好江師匠が講師で来てくれるんですよ。

 その実習で仲の良いめちゃめちゃイケメンの役者を相方に、神社のコントみたいなのをやったら、すごく評価してもらったんです。「いやあ、面白いね」って。それで自信が出てきて「やっぱりお笑いやってみようかな」と。なんだかんだいって、僕のなかでは「なれるんだったらお笑いのほうがうれしい」みたいなところがあったんですね。

――そこから本格的にお笑いへ。

 

大島 学校の中で評価もされるし、やるたびに「面白いね、いいね」って言われるし、自分でもやっていて楽しいし、そもそもお笑いが大好きだったので。

 日本映画学校で、底ぬけAIR-LINEの古坂大魔王と知り合うわけですよ。古坂大魔王って、あのピコ太郎の。

 あいつはコンビを組んで3カ月ぐらいで学校をやめちゃうんですけど、そのときに「大島ちゃんどうする?」って言うから、「いや、俺はちゃんと卒業するよ」って言って残って。でも、あいつらのネタ作りなんかに付き合って、ムービーを撮ったり、ダメ出しなんかやってあげていたんです。

 それで映画学校を卒業する時に、相方になる石本(武士)を紹介してもらうんです。

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