――お互いの才能の凹凸がうまくハマった。
大島 僕ってそれまではボケをやってたんですけど、「こいつと組んだら、見た目的にどうしてもあっちがボケだよな。じゃあ、僕がツッコミやるしかないな」と。で、僕がツッコミ、石本がボケでやりだしたんですね。
「石本はもともと広島のワルですからね」
――当時の石本さんは、見た目に反してトガっていたそうですね。
大島 もともと広島のワルですからね。ある時、新宿でネタ合わせしようと思って、あいつが遅れてきたんですよ。「どうしたの?」って聞いたら、チンピラみたいなのに絡まれてたサラリーマンがやられそうになってたから、石本が1人で「ワレ何やってんじゃ、おら!」って助けたらしいんですよ。
で、「大丈夫でしたか?」ってパッと振り返ったら、そのサラリーマンがもういなかったらしくて。目の前にいたチンピラから逃げてたっていう。そういう怖い連中でも、後先考えずに1人で切り込むようなやつですね。
――日本映画学校を卒業してからは、どのような生活を。
大島 1994年に卒業したんですけど、普通のサラリーマンになることは1ミリも考えてなかったですね。お笑い一本で行こうと。親もすっかり諦めてましたね。
「卒業してお笑いやる」と親に話したら、「そんだったら、もう自力で暮らせ」と言われて。高円寺で風呂なしアパートを借りて、バイトしながらライブに出て。最初はうどん屋さんでバイトしたんですけど、「ちょっとライブがあるんで」って長く休んだら、いつの間にかクビになっていて。その後に弁当のデリバリーをしてる時に、ヒッチハイクに出るんですけど。
――フリーで活動しながら、月に13本もライブに出ていたそうですね。
大島 経験値とか実績がまったくなかったので、「出られるライブは片っ端から出よう」って石本と決めて。渋谷の小劇場に立ったり、個人でやっているような「優勝者賞金1万円」なんていうのがあったら、「おっしゃ、賞金稼ぎに行こうぜ!」って言って。賞金も結構もらいましたよ。
