――1995年10月にマセキ芸能社に所属を。

大島 初舞台は「大島・石本」、以後は「DRAG」のコンビ名でフリーでやってたんですけど、トイボックスとかあちこちの事務所から気に入られたんですよ。で、当時ウッチャンナンチャンの内村さんのマネージャーやっていた青木さんから「来ないか、来ないか」ってマセキに誘われていて。

 石本とは事務所に関して「第一条件として、まずキャラが被らないところ。デブがいないところがいいよな」って決めていたんです。マセキだったら、デブはいないし、なにしろウッチャンナンチャンさんがいるし、青木さんという敏腕マネージャーがいるので、「お願いしてみよう」と。

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 それでネタを見てもらって、1995年10月にまずは「預かり」の形でマセキに入ったんですよ。でも、入った瞬間に青木さんがマセキを辞めちゃって。「おい、ちょっと待てよ! うちに来い、うちに来いって言ったのに、あんた辞めてんじゃねえか!」っていう。今でもネタで話したりするんですけど。

――思いっきりハシゴを外されたような。

 

「『ウンナン世界征服宣言』はつまんないですね」と言った相手が…

大島 当時のマセキは若手芸人が育ってなかったんです。出川(哲朗)さんの下に、若手がいないから、新人を育成しようってタイミングで。

 出川さんのマネージャーだった小川さんという方が、新人育成マネージャーになって、「これから盛り上げていこう」ってメラメラしていたこともあって、僕らを入れたみたいです。

――『進め!電波少年』のオーディションを受けたときは、『電波少年』だとはまったく知らされずにいたそうですが。

大島 あれは1996年3月に受けたんですよ。マネージャーからは「今度ネプチューンさんがやる、海外に行く特番があるからオーディション受けてみて」と言われて。

 オーディションを受けに行ったら、土屋(敏男)さんがいて。「ウッチャンナンチャンの番組で面白いものとかある?」って振られて、石本が「ああ『ウンナン世界征服宣言』はつまんないですね」と言ったんですよ。

 そしたら土屋さんに「それ俺がプロデューサーやってる番組なんだよね」って言われて、2人とも固まって。でもここで石本は引いちゃいけないと思ったらしくて、「けど全然つまんないですから」って、悪態をついたんですよ。