――98年に『DAIBAッテキ!!』、99年には『DAIBAクシン!!GOLD』の司会を務めたり、帰国後は一躍売れっ子になりましたね。

大島 売れるためにやっていたので、素直に嬉しかったです。帰ってきたらみんなが僕らのことを知っているので、びっくりしましたよ。ただ芸歴1年ちょっとなのに、いきなりMCを任されて必死ではありました。自分たちの技術よりも知名度の方が高くなってしまっていたので。

 事務所からは「猿岩石みたいにスター売りはしないから、少しずつ技術を積み重ねてくれ」と言われていましたね。

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帰国してそのまま凱旋ライブ、そして突然の売れっ子生活に突入

――収入もバーンと跳ね上がりましたか。

大島 いや、まだ新人でしたから月40万、50万といったところじゃないですかね。本を5冊も出してベストセラーになって、印税が入りましたけど。でも印税は全額親に渡しました。

仕事が舞い込む中での突然コンビを解散した理由

――順風満帆だったのにも関わらず、なぜコンビの解散を。

©文藝春秋 撮影・今井知佑

大島 31歳、2003年3月に解散したんですよね。レギュラー番組も抱えていた、仕事は全然あったんですけど、「このままバラエティをやっていたら、役者ができないんじゃないかな」って。相方がピンでやる仕事との格差とかもいろいろ考えるようになってきてたし。

 先輩の役者から「役者をやるなら、お笑いを捨てるくらいじゃないとダメだよ」とアドバイスされたり、当時付き合っていた彼女が女優で、一生懸命やっている姿に影響されて、悩み始めちゃって。

――石本さんや事務所とは、解散についてぶつかったのでは。

大島 ある番組で、テンションが上がらず上手くいかなくて、そこで「実は役者をやりたいんです」と切り出しました。事務所からも石本からも止められましたけど、「どうしてもモチベーションが上がらない」と言ったら、「それ以上は言えないね」と。円満でした。