さらにクルマが普及するようになると、路上を走る路面電車への風当たりが強くなる。実際、大阪市中心部を走っていた大阪市電は1969年までにすべて廃止されている。併用軌道の少ない平野線とはいえ、廃止は時間の問題だった。

 そうした中で浮上したのが、地下鉄谷町線の延伸だ。あわせて阪神高速松原線の整備も決まり、役割を終えた平野線は1980年11月、谷町線天王寺・八尾南間の開業前日をもって歴史に幕を下ろしたのである。

平野の町の中心には古いアーケードの商店街
平野の中心・杭全神社
JR平野駅。平野の町の北外れにある

 平野線の全盛期は、昭和初期から戦争を挟んで地下鉄延伸がはじまる昭和20年代半ばまで。これは奇しくも飛田新地の全盛期とも重なっている。平野線に乗って飛田を訪れた男たちも少なからずいたに違いない。

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 いずれにしても、大阪・平野というふたつの都市を結ぶために生まれた南海平野線は、田園地帯だった沿線の都市化に寄与し、ふたつの都市をひとつの都市にまとめあげた。

 直通していた阪堺線や上町線を含めれば、新世界や天王寺駅前にはじまってあいりん地区や飛田新地を眺め、住宅地を抜けて郊外の古き自立都市へ。平野線は、近代大阪の発展の立役者となり、そしてひっそり消えた路面電車だったのである。

(撮影=鼠入昌史)

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