不倫・駆け落ちはいつの時代にもある。しかし、「白蓮(びゃくれん)事件」ほど当時の社会を騒がせた事件はないだろう。いまから105年前、1921年10月。当時の天皇のいとこで「大正三美人の一人」とうたわれた人妻の女性歌人が7歳年下の少壮弁護士と恋に落ち、10年間連れ添った24歳余り年上の「炭鉱王」の夫への「絶縁状」を新聞紙上で発表して失踪した。

 確かに前代未聞のセンセーショナルな出来事だったが、社会現象にまでなったのは、新聞の過熱報道の影響が大きい。そして、そのニュースの奔流の中でいくつかの重要な真実が見えなくなった。それは何か――。

 当時の新聞記事は見出しはそのままに、本文は適宜現代文に直して整理。差別語、不快用語が登場するほか、敬称は省略する。(全4回の1回目)

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事件は特ダネで始まった

 事件の中心人物となるのは歌人・柳原白蓮。そして当時の夫の伊藤傳右衛門(でんえもんと、白蓮と恋仲になる宮崎龍介。記事中の年齢や年齢差はみな数え年で、満年齢では事件当時、白蓮は36歳になったばかり。傳右衛門は60歳、龍介は28歳の終わりだった。

 2014年のNHK連続テレビ小説『花子とアン』では白蓮をモデルとした女性を仲間由紀恵が演じたが、今回取り上げる事件も重要なエピソードとして作中に登場し、話題を呼んだ。「柳原燁子(あきこ」「伊藤燁子」「宮崎燁子」などの呼び名もあるが、記事中以外、地の文は「白蓮」で統一する。

柳原白蓮(出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」)

 この事件の報道で混乱しているのは、スクープしたのが東京朝日(東朝)か大阪朝日(大朝)かという点だ。出版物や資料では大朝としているものが多いが、『朝日新聞社史 大正・昭和戦前編』(1991年)や当事者の手記を読めば、東朝であることは疑いがない。もちろん大朝も掲載しているが、同系列といっても大阪が発祥の地の朝日は、当時大朝と東朝では一般記事はもちろん、論説も別々で、一種ライバルのような関係だった。

 その東朝は1921(大正10)年10月22日付朝刊で5面(社会面)全面を使って事件を報じた。事件の大筋と基本的なデータはこれで分かる。