かつて、新聞社や通信社のニュースと写真がハトによって運ばれていたことを知る人はどれくらいいるだろうか。1960年代まで、各社は常時数百羽を飼い慣らし、社屋の屋上などにあった鳩舎から飛び立つ風景はマスコミの世界の風物詩だった。
ロンドン~パリ間を6、7時間で飛び
帰巣本能を利用して、人間が伝書鳩を実用に使った歴史は古い。古代エジプトでは漁民が船から陸への連絡に使った記録があり、「ノアの方舟」などの洪水伝説にも登場する。それが報道にも利用されるようになったのは19世紀。「通信社史」(1962年)によれば、「1825年、シャルル・ハヴァス(アバス)はパリに通信事務所を作ったが、これが実に近代通信社の最初のものとなった」、「1840年には通信社として初めて伝書バト通信を行った。ハトはロンドン、パリ間380キロを6、7時間で飛び、ロンドンのその朝の出来事は午後にはパリで知ることができるようになった」という。
日本のメディアがハトを使うようになったのは、それよりずっと遅かった。「新聞研究」通号388「戦後新聞写真史4スピグラと鳩」(1983年)によると、「わが国では『東京朝日』が明治二十六年に鳩による通信の研究と鳩の訓練を開始した」。ノウハウは、先行していた旧大日本帝国陸軍、さらにはそれより進んでいたフランスなど外国の軍隊からの導入だった。
三羽の伝書鳩はふろしき包みにして…
初めて実際に使われたといわれるのは1897(明治30)年、東京・八王子で3000戸余りを焼いた大火の際。「特派員河野玄隆は伝書バト3羽を携えて現地に出張、わが新聞史上、初めてのハト通信に成功した」=「朝日新聞の九十年」(1969年)。「朝日新聞社史明治編」(1995年)は河野の回想談を載せている。
「いつもの着流しに白メリヤスの股引き姿、わらじをはいて尻を端折り、後ろへは原稿用紙をいっぱいつめ込んで、三羽の伝書鳩はふろしき包みにして…」
約120年前の報道人の姿だ。しかし事実は違っていた。「朝日新聞社史明治編」には「はじめて通信用に使ったのは明治二十八年六月二十日、朝鮮から公使井上馨が帰国したさいであった」とある。八王子大火が特ダネでハトの効果の印象が強かったためという。