山里青年会では先輩が後輩の生活態度をびしびし指導するのが伝統だ。その分、きめ細かく面倒を見るので、たとえ青年会活動に関係なくても、問題を起こした子がいれば、先輩が学校に謝りに行くなどする。そうした濃い人間関係をもとに、「適性を見て仕事を紹介するなどしています」と喜友名さんは話す。
一方、園田(そんだ)青年会では、エイサーが地域の絆になっている。園田は戦後、家や畑を米軍基地に接収された人々が、原野のような場所に寄り集まって住んだ地区だ。
「だから園田には伝統の祭もありません。でも皆で地域を作り上げる手段として、青年会が中心になってエイサーの技術を磨いてきました」と園田自治会長の嵩元(たけもと)盛侍さん(三十四歳)は話す。嵩元さんは元青年会長で、現役会員でもある。
自宅の土地所有者が異なる園田では、子や孫の世代が地元に家を建てられず、他地区に出て行かざるを得ないことが少なくない。「そうした場合も、子供には園田のエイサーを踊らせたいと多くの人が願います。エイサーが地域のつながりそのものだからです。そんな園田だからこそ、誰もが挨拶をし、声を掛け合って、家族のように過ごせる地区にしていきたい」と嵩元さんは語る。
嵩元さんは「家族」と言い、喜友名さんは「兄弟」と言う。青年会は沖縄社会の持つ家族性の象徴だ。つながりが深いから、若者は親元の近くに住む。地域の見守りも充実しているので、安心して子が産める。
課題はある。一五年度の同市の青年会員は七百九十二人と、同じ年代の若者の一割に満たない。アルバイトや遊びを優先させる人が多く、この二年間で百四十人も減った。だが、活動は彼らの中で止まっているわけではない。ほとばしる思いが踊りとなって、人々に伝わっていく。
全国の「地方」では「仕事がないから出ていくしかない」というのが若者流出の理由になっている。しかし沖縄市には「地元」にこだわる若者集団が存在している。「仕事は沖縄の方がよっぽど深刻なはずです」と松本青年会の吉田さんは話す。
エイサーは単なる伝統芸能ではない。若者を「地域」に目覚めさせる熱い踊りなのである。