石破さんのいいところ
――航空幕僚長時代に話を戻しますと、小池防衛大臣時代に守屋次官が辞任して、安倍政権も福田政権に交代。石破茂防衛大臣が誕生します。石破さんはいかがでしたか。
田母神 石破さんはね、私はいい人が来たなと思いました。一つは普通の人よりは安全保障や軍事に通じているところ。
――軍事オタクと呼ばれるほどの人ですから。
田母神 まあ、他の人より詳しいですわ、というくらいだと思いますけどね。オタクだなと思ったのは「戦艦大和と戦艦武蔵のラッタルの数が違うのは何でだ」とか、そういう話を聞かされた時かな。そんなこと海上自衛官だってわかりませんよ。ただ、オタクにせよ、軍事ライターにせよ、現職より詳しいということはありえない。一般的にはね。
――石破さんのいいところ、他にもありますか。
田母神 彼は「自衛官は安全保障について、きちんと意見を言うべきだ」と防衛庁長官時代に海上自衛隊幹部候補生学校の卒業式で挨拶しているんです。これは私にとって心強かった。私は昔から同じことを部下に言っていたから。ほら、大臣だって自衛官としてもっと発言しろと言っているだろって、自信を持って言えるようになったんですね。そんな石破さんが大臣に就任してから募集がかかったのが例のアパグループの懸賞論文。
――ご自身が応募するだけでなく、周囲にも声をかけていたそうですね。
田母神 大臣も発言しろと言っているんだ、みんなも応募したらどうだって、周囲に呼びかけました。論文を書くということは勉強になります。いろいろと調べなければ論文は書けません。当時の人事教育部教育課長だった石井義哲さんにも、みんなに勧めるよう私から言いましたね。
アパ論文最優秀を最初に伝えてきたのは、日経の記者だった
――そして2008年10月31日に「田母神論文」が最優秀賞を獲得します。この通知が来たとき、どう思いましたか。
田母神 あ、これは何か問題になるかもしれないな、とは思いました。
――そんな予感はしていたんですか。
田母神 でもね、一気にクビになるとは思っていなかった。私はこの論文が今まできちんと議論されてこなかった「歴史認識問題」をあらためて俎上に載せた意味もあるだろうと思っていたし、どんなに怒られたとしても注意処分くらいだろうと思っていたんですがね。実は田母神論文が最優秀と発表されたその日に、昼頃に日経新聞の記者が私のところにきて最優秀賞だそうです、おめでとうございますと言ってきたんです。300万円の賞金はどうするのですかというから、皆さんにもラーメンを2杯ずつ奢ってあげようなどと冗談を飛ばしていました。午後3時からは空幕長の定例記者会見がありましたが、記者の皆さんは私の論文が最優秀賞を受賞したということは知っていたわけですが、記者会見ではそれに関する質問はありませんでした。特段問題にしているようなところはありませんでした。問題になり始めたのは当日私が帰宅してからでした。論文問題は私が更迭されたことによって問題になったのです。もしも防衛省が問題にしなければあれほど大きな騒ぎにならなかったかもしれないと今でも思っています。
最優秀の通知が来たその夜、当時の増田好平防衛次官から3回くらい電話がかかって来たんです。「空幕長、これは今夜中に決着をつけなければなりません」って言うんです、私に。「今夜中に決着つけるって、何?」「いや、辞表を書くと言うことです」「辞表? 俺、辞表なんて書かないよ」「いや、辞表を書いてください」。この押し問答が続いて、「じゃあ大臣には人事権があるんだから、俺が気に入らないんならクビにすればいいんだ」って言った。そうしたら、すぐにクビになりました。防衛省というのは何をやるにも決断できない役所だったのに、俺をクビにするときは早かった。ほら、やればできるじゃないかって思いましたけれどもね(笑)。
私を辞めさせる話をしていた二人の人物
――増田次官は年齢でいうと……。
田母神 年下。3つ下です。まあ、私がこのまま空幕長を続けると、順番的には統合幕僚長になっておかしくなかったんです。だから、私になられると困るとでも思ってたんだろうな。私は次官の言うことなんて聞くはずないんだから。実は増田次官と斎藤統幕長は私のことを快く思っていなかったのです。二人で田母神空幕長に辞めてもらうという話をしていたと若い職員が教えてくれました。斎藤統幕長は防大の私より1期先輩ですが、非常に慎重な人で、増田次官とは馬が合うようでした。私はいつも慎重さが足りないと言われておりました。実は私に足りないのは慎重さではなく身長だったのですが。
――先ほど、組織の長は部下を守るものだとおっしゃっていました。この時は浜田靖一防衛大臣でしたが。
田母神 論文事件のすぐ後、浜田防衛大臣と仲の良い石破さんが「田母神空幕長は文民統制について全く理解をしていなかった」とテレビで言っているのを見て「えっ。あれっ?」って思いました。彼とは長い付き合いだし、空幕長として石破大臣を支えていた自負があっただけに、裏切られたような、なんとも言えない気持ちになりました。石破さんは守ってくれると思っていたんだけども。
――そしてその上は麻生首相。麻生さんに思うことはありましたか。
田母神 そのときは特に何も思わなかったけど、財務省の福田次官を麻生さん、ずいぶんかばってたじゃないですか。あれを見て、私のことは全く守ってくれなかったなとは思いましたね。クビになった後、国会ですでに部下ではなくなった私を「田母神が、田母神が」ってずいぶん呼び捨てにされましたけど、「佐川が、佐川が」って言うの聞いてると、それも変わってないですね(笑)。まあ、そういう人なんだな、あの人は。
(#3へ続く)
写真=白澤正/文藝春秋