私、生まれも育ちも東京は葛飾柴又でございます……酒場の片隅で四角顔のつぶらな瞳の男性が銚子を傾け語り始めたら、どんな顔をして話を聞こうか。姓は車、名は寅次郎、フーテンの寅さんと呼ばれて全国の人々に愛され、旅の途中でふと消えてしまったあの人の、生まれ育ちの物語である。
私が寅さんを知ったのは九、十歳の頃で、動物園の飼育員をする青年と江戸川の土手に並んで座り、「女性とデートするときはだなァ……」と恋について指南する姿をテレビ画面で見たのが最初だ。それから十年が経ち、私は急に寅さんのテキパキした語りと声を思い出して、テキ屋となった彼の人生と恋の遍歴を追っかけ出したのである。青年を相手に喜々として恋の指導をしていた寅さんだが、自分の恋はまるで実らず、生まれ故郷の柴又に居つくこともない。季節の変わる風が吹けば鞄ひとつ抱え、去り際にひと言、「達者でな」と電車に乗り込む。だから、ふらり酒場に現れて軽やかに思い出を語る寅さんは新鮮だ。中には「そうだったんだ……」という辛い事実もあるが、ぐっと酒を呑み込み静かに受け止めたい。
古い地域の習わし「雪隠(便所のこと)まいり」で、祖母が和式便所から箸でつまみあげた人糞を赤子の自分が掌に掴み、その糞まみれの手を舐めてしまった話、愛情深かった育ての母親、戦争。そして何度か呟かれる「私は妾(愛人)の子」という言葉。遊び人だった親父が芸者の母と良い仲になり、酔った勢いでできたのが自分なのだと。印象深いのは、小学生の頃、根性の悪い同級生から「なんだい妾の子」と暴言を吐かれ、そいつをあやうく花壇のレンガで殴り殺すところだったという告白だ。私の胸には複雑な思いが宿る。劣等感が突き動かした哀しい狂気が、寅さんの笑う顔に隠れていたのだから。私は寅さんの明るさに惹かれたのではなかった。彼の傷を自分の傷に重ねていたのだ。
やまだようじ/1931年大阪府生まれ。映画監督、脚本家。主な作品に『男はつらいよ』シリーズ、『幸福の黄色いハンカチ』『たそがれ清兵衛』などがある。2012年、文化勲章受章。本書が初の小説となる。
もりしたくるみ/1980年秋田県生まれ。文筆家。主な作品に『36 書く女×撮る男』(金子山との共作)『虫食いの家』など。