十一月十六日に公開される映画『鈴木家の嘘』で、岸部一徳は主人公である鈴木家の父を演じている。脚本段階から岸部を想定して書かれていたということで、「らしさ」を堪能できる内容になっていた。
大きく表情を変化させたり、激しく動いたり、声を張り上げたりすることは決してないのに、ただそこにたたずんでいるだけで感情がキチンと伝わる――、そんな岸部ならではの芝居が全編を通して貫かれており、それを観ているだけで大きな起伏のある物語ではないにもかかわらず、二時間以上の上映時間はあっという間に過ぎていった。
今回取り上げる『死の棘(とげ)』は、そうした「岸部芝居」を確立した作品である。
ザ・タイガースのベーシストとして一世を風靡した後、役者としてゼロから再出発してチョイ役からキャリアを積み重ねて約十五年。岸部は本作によって、ようやく役者という仕事に手応えを感じることができたという。実際、それだけの演技を見せている。
売れない小説家のトシオ(岸部)が妻のミホ(松坂慶子)に浮気を責めたてられる場面から、物語は始まる。といって、両者とも激した芝居はしていない。口調も表情も、どこまでも淡々としている。そのことがかえって、静かに圧してくる妻の恐ろしさと、とにかく詫びるしかない夫の情けなさを際立たせていた。
そして、妻の怒りや悔しさがない交ぜになった感情は決して収まることはなく、その言動は常軌を逸していく。夫はただひたすらに、そんな妻を受け止める。本作は最後まで通して、この夫婦の壮絶な葛藤を冒頭から変わらない静かなタッチの中で描いていく。
美人女優としてのイメージをかなぐり捨てるかのように狂気の世界を演じ切る松坂も凄いが、それを完璧に受けてのけた岸部の演技も見事だ。
本作の岸部は小栗康平監督の演出プランもあって、いつにも増して棒読みに近いセリフ回しと無表情で通す。が、ザ・タイガース時代には低音パートのコーラスで鳴らしただけあり、そのかすかにビブラートする独特の低い声が、抑揚をつけずとも感情の揺らぎや戸惑いを伝え、トシオの心の弱さを表現する結果となった。そして、その向こう側からは凜とした優しさが滲み出てきていて、トシオの置かれた状況がやる瀬なく迫る。特に、「僕はお前を十年間苦しめてきた。だから今度はひとまず十年間僕がお前に奉仕しよう」と贖罪を申し出る声は、棒読みだからこそより温かく響いた。
日本で唯一無二ともいえる演技スタイルを確立した男の名演。この機会に旧作と新作で、併せて味わってほしい。