初めてかぶったスワローズキャップのサイズは56。しかし普段は55cmだという。小顔。すらりとした体形で、スーツも板についているのは社会人の経験故か。
東京ヤクルトスワローズ入団交渉後の記者会見で、岩田幸宏は自分のタオルと傘を手に持ち、「一員になれたかな」と喜びを表現した。
目標とする選手は「青木宣親さん」。つば九郎に会えるのを待ちかねて
目標とする選手は「青木宣親さん。バッティングの技術について聞いてみたい」。新人へのイジりが予想されるつば九郎については、「僕はいじられる方が合ってる」と会える日を楽しみにしている。
東京ヤクルトスワローズから育成1位でドラフト指名を受けた岩田幸宏外野手(24歳)。東洋大姫路高卒業後、ミキハウス野球部を経てルートインBCリーグ信濃グランセローズに入団した。
売りは走攻守の三拍子。「2年だけ」と決めた独立リーグで、2年目に花を咲かせ、夢を叶えた。
独特のバッティングルーティン
独特のバッティングルーティンがある。深い股割からゆっくりとバッターボックスの一番前へ。まずはくるりと投手に背を向けてしまう。ランナーを確認する仕草。二歩距離を取り、構える。打席でも頻繁に投手に背を向ける。
「股関節を意識したいのと、焦って打席に入りたくないので。今はそうなりましたが、他にいい方法があれば変えていきます」
こだわりではなく、それが岩田の自然体だ。
兄と姉のいる末っ子で、BC信濃に入団したとき、同じく末っ子の飯島泰臣会長と広報スタッフからは、「末っ子倶楽部」入会認定を受けたという。
末っ子気質でイジられ役
「いや……僕は入ったつもりはないんですけど(笑)。いじられてるだけです」
そこが末っ子気質なのだろう。年上の人と接するのは「楽」らしい。人懐こさと元気なプレイスタイルで、ファンやスポンサー、地元メディアからも親しまれた。
NPBドラフトで指名を受けた時は、電話で兄に「自慢の弟や」と初めて褒めてもらって胸を熱くした。「それが一番嬉しかったです」と破顔する。
4つ上の兄の背中を見て育ってきた岩田に、兄は大きな存在だった。野球の上手い兄は高校で野球を辞めたが、弟は野球に打ち込む道を選ぶ。
社会人ミキハウスに進んだ後、同僚だった山崎悠生(元BC群馬・BC信濃)さんに勧められてBCリーグの門を叩いた。NPBに行くためには、BCリーグでスカウトの目に留まるのが早道だと考えた。
BCリーグの1年目、足が速い分「当てに行ってしまうバッティングだった」という岩田に、南渕時高野手総合コーチ(元ロッテほか)は、「振る」バッティングをイチから叩き込んだ。
「自分が納得すれば言うことを聞く」
「バットを振るとはどういうことかを教えてもらいました。2年間こういう成績を残せたのはあの方のおかげです。疑問に思ったり、それをブチさんから言われて言い返すこともありますが、自分が納得すれば言うことを聞きます。言い返せる雰囲気を作ってくれるので。疑問に思ったことは何でも言えます」
指揮官も当てにいくバッティングをすると、ヒットであっても交代させることがあった。三振しないためにはどうするか。足を生かして長打を打つためにはどうするか。全てが成長の糧だった。
シーズン打率は1年目.350、2年目.357
結果、1年目から.350という打率を残す。2年目の今季は打率.357、29盗塁。とくにシーズン終盤は“神がかり的”に打ちまくった。
独立リーグというと、経済的・物質的な苦労というイメージが先に立つだろう。実際給与は少なく貰える期間も限られているが、具体的な待遇は球団ごとにまちまちだ。
「信濃はホームグラウンドがありますし、室内練習場もジムもある。野球に関しては自分は満足でした。経済面で苦しいということはありましたけど、そこを求めるなら社会人でもいい」
食事もスポンサーである飲食店で、バランスよく食べさせてもらえた。そして、何より人に恵まれていた。
同じBCリーグ神奈川の乾真大選手兼任コーチ(元日ハム・巨人)は、岩田にとって東洋大姫路高の大先輩にあたる。昨年のBCリーグチャンピオンシップ決勝では神奈川と信濃が戦った。その日先発完投した乾と対戦したことが、BCリーグでの大事な経験になった。